ぽたがすき。

2年間おやすみしていたロードバイクを、また少しずつ乗っていこうかな?と思っているお話。

古道:古代東海道(皇居から浅草)その2

古道:古代東海道(皇居から浅草)その1

前回からの続きです。

 

石…でしたね。いし。

f:id:kaina0121:20200923200601j:image


f:id:kaina0121:20200923200620j:image

お隣にあったこの看板のタイトル?タイトル・・・?が書いてあるのですね。

 

吉田松陰先生終焉之地

江戸伝馬町牢屋敷跡

在町宝永時鐘

 

あぁあぁ、現地では全く読めませんでしたが、今ちゃんと看板と照らし合わせてみたら読めました(笑)

 

ここは、ちょうど小伝馬町駅の出口の目の前にあたるらしく(歩いてたから気づかなかったっ!)このあとちょっと寄る、十思公園(じっしこうえん)への案内看板?案内石?ですね。

 

十思公園の目の前にある神社に立ち寄ります。

 

f:id:kaina0121:20200923200642j:image


f:id:kaina0121:20200923200704j:image

準別格本山 大安楽寺です。

**********

十思公園内高野山真言宗の大安楽寺は、新高野山と号します。大安楽寺は、牢屋敷跡だった当地に誰も住み着かなかったことから、大倉喜八郎安田善次郎が土地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建したといいます。高野山より弘法大師の像を遷座したことに因み新高野山と号したといいます。高野山の準別格本山で、江戸三十三観音霊場の5番札所です。

**********

だそうです。弘法大師さん〜!

たまたまお二人の名前が良くて、縁起の良さそうな神社の名前になったのですね。


f:id:kaina0121:20200923200722j:image

 十思公園です。

***********

吉田松陰が処刑された「伝馬町牢屋敷」跡の「十思公園」内に大きな石碑に刻まれています。小塚原刑場で処刑(斬首)された、との記述も時に見受けられますが、吉田松陰を始め幕末の国粋思想家は小伝馬町牢に置かれ、牢内で斬首されており、小塚原刑場は遺骸の取り捨てられた場所です。

***********

 

ぇ?吉田松陰って、処刑されたの…?(そっからか…って言わないでw)

松下村塾の人ですよね(中学社会ギリギリの知識…)

 

はい吉田松陰センセイについてgoogle先生に聞いてみましょう。

 

**********

吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。

吉田松陰 - Wikipedia

 

幕府が朝廷の許可なく日米修好通商条約を結んだことに対して、松陰は徳川幕府が日本の最大の障害であると強烈に批判し、倒幕を主張します。

こうした動きが、長州藩に危険視され、再度、野山獄に再入獄されます。

そして安政の大獄では、弟子たちと同時にとらえられ江戸へ移管されます。

幕府での取り調べに対して幕府批判を展開し、倒幕計画および老中暗殺計画をもらしてしまったため、傳馬町牢屋敷で処刑されます。

11月21日 吉田松陰処刑さる

 

留魂録という、松陰の遺書が残されています。

私は三十歳。
四季はすでに備わっており、花を咲かせ実をつけているはずである。
それは単なるもみがらなのか、成熟した栗の実であるのかは私の知るところではない。
もし、同志の諸君の中に私のささやかな真心を憐れみ、受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種が絶えずに穀物が年々実っていくのと同じである。

**********

 

享年30(満29歳没)…わっか…。おじさんなのかと思ったら、私より若いじゃないですか…!! 衝撃!!

 

ちゃんと弟子たちの個々を見ていて、良いところを伸ばす教育をされていたのですね。

ひどいことを言ったあとに、ちゃんとごめんね、って言っているが素敵です。

 

やっぱり、(どんな天才でも)人は人に触れあってこそ成長し学んでいくのだなと思えました。

 

高須久子さんが気になりますね、

何かの時に調べてみましょうか。

 

で、吉田松陰先生が斬首されたのが、ココの地だったのですね。

 

ひょえ。


そんな吉田松陰先生の石碑が並んでいます。


f:id:kaina0121:20200923200817j:image


f:id:kaina0121:20200923200838j:image

 

この石碑たちと同じ並びに…これは…?

杵屋…?歌舞…?と文字がちらほらみえます。


f:id:kaina0121:20200923200914j:image

杵屋勝三郎歴代記念碑 

 

らしいです。読めない…。

あ、「杵(きね)」も読めないし、石碑の字も読め(読む気があり)ません(笑)

 

いつになったら、石に書いてある時を読めるようになるのかな…w

 

お隣に、銅板の?絵?もありました(劣化してしまい、何が書いてあるかイマイチわからなかったので写真撮ってませんが…気になる方ぐぐってみてね。)

 

**************

「杵屋」は江戸長唄三味線の家名。初代が、天保年間(1830~1844)に武家から出て一派を創始。二代目が最も著名で、「船弁慶」「連獅子」「時雨西行」「安達ケ原」などの名曲を残しました。二代目が十思公園に近い馬喰町に住んでいた縁故で碑が建てられました。

**************

 

あ、お近くにお住まいだったのですね。なるほど?

 

www.kinekatsu.com

なんとなく検索していたら、きっと杵勝会というこちらのグループさんが末裔だと思われます。

杵屋さんは屋号なのですね。(きっとね)

 

現代でも演奏会を開いているそうですよ。

 

 

話は、吉田松陰先生も入っていた牢獄の話になるのですが、建物沿いにこんな看板もありました。


f:id:kaina0121:20200923200941j:image

傳馬町牢屋敷の説明ですね。

博物館?には入らなかったので、公園の中にあるものだけをぐるっと見ました。

この看板の説明書きは、牢の基礎とかだったかな?

まぁ私は石見ても、どのくらい立派な基礎なのかとか解らないのですが…w

まぁ、きっとこうやって残しているくらいなので、立派な基礎なのでしょう。

 

周りの塀の高さは、2.4mもあったのですって。

ちなみに今の府中刑務所の兵の高さは5.5mらしいです。

 

f:id:kaina0121:20201008204240j:plain

拾い画像ですが、建物の中にはこんな看板もあるらしい。

牢屋敷についてちょっと調べると、

 

*********

時代劇でお馴染みの「伝馬町牢屋敷」は現在の中央区日本橋小伝馬町3~5丁目を占めていました。

小伝馬町牢屋敷展示館 | 中央区まちかど展示館

*********

 

すみません、時代劇見ないので知りませんでした(というか、ずっとテレビなしで生活してて、サッカーW杯も、あんなに盛り上がったラグビーも華麗にスルー…最近、見たい番組があり、重い腰を上げてテレビを出して…半年くらいたつかな…?)

 

放火事件を起こした八百屋お七もここに収容されていたみたいで、八百屋お七は鈴森刑場で処刑された…ぁ!ぁ…!見たことありますよそういえば!!

 

↓2020年6月20日でした。

なにかのときに、羽田まで走って、帰り道に寄ったのでした。

こんなところでリンクするとは。


f:id:kaina0121:20201010120746j:image

 


f:id:kaina0121:20201010120754j:image

お七の火あぶり台をみて、暑い日だったのですが、ぞわっと2℃くらい体感温度が下がったのを覚えています。

 

だってここに鉄柱を立ててあぶるんですよ…。熱いというか痛いというか…。

何とも言えない気持ちになってしまいました。

 

お七が火あぶりの刑になったのは恋心からの放火が原因だったのですね。

それも、火事場泥棒にそそのかされてとのことだったので、なんとまぁ。

 

ことの発端は、お七の家の江戸の大火事でお家が焼けてしまったそうで、新しい家が建つまでのあいだ、一時的にお寺に避難したそう。そこで、避難したお寺の僧に恋をしてしまいました。(ちなみにこれ両想い。)

 

お家が再建され引っ越すことになったのですが、その僧にまた会いたいがために、再びおうちに火をつけたお七は、自分のしたことの罪の大きさに気が付き、すぐ警鐘をたたき、ボヤ程度で火事は収まったそう。

 

当然、捕まり、当時の少年法(16歳以下の適応で、16か17か微妙なお年頃だったらしい)をはねのけ、お七は自ら17歳だと役人に言い、火あぶりの刑になってしまいました。

 

恋人だった僧もその事態をしり、自害しようとしたのですが、悔い改め、厳しい修行を積んで最後には立派なお坊さんになったようです。

東京消防庁<消防マメ知識><消防雑学事典>

 

は~…今の子たちだったら自分の意志で秒で会いに行きそうな感じですが、そのころは自由に行動することが許されなかったんですかね。

 

切ないっ( ノД`)!!

 

 f:id:kaina0121:20200923200753j:image

ってわけで、同じ公園内にあるこの鐘は、お七の叩いた鐘ではなく、時報用です。

 

*************

石町時の鐘(こくちょうときのかね)は、東京都中央区に鐘が現存している時の鐘であり、鐘が東京都指定文化財である。また、本石町時の鐘ともいう。

時の鐘は寺社の鐘と違い、公費で運営していたので、時の鐘が聞こえる約四百町(初めは三百町ほど)の範囲から鐘撞き料(町人は間口一間につき四文)を徴収していた。

石町時の鐘 - Wikipedia

*********

従来、江戸の時の鐘は、本石町、上野寛永寺、芝切通し、市ケ谷八幡、赤坂円通寺(後に成満寺に移設)、目白不動尊浅草寺、本所横堀、四谷天龍寺の九カ所といわれていた 

ここから

*********

 

この鐘は、石町の鐘で、9個の鐘の中でも最古のものだそう。

牢獄から2丁ほどのところで鳴らされたこの鐘の音で刑の執行などもされていたようですね。(入口の看板から)

 

鐘の音が聞こえる範囲に、鐘撞き料を取っていたのも驚きですね。

 

あ、でも、私も少し前まで正確な時間が知りたかったら、117に電話したりしてたので、正確な時刻にお金を払うという意味合いとしてはそういうことなのかもしれません?

 

さて、長くなってしまいましたが十思公園をくるっと回りました。

 

そういえば、古代東海道を浅草方面へ向かっているのでしたね。

 

次のポイントは…!

名前からも、また可憐な乙女が出てきそうな予感!

 

お玉が池です。

 

ルートからは少し外れるのですが、見てみたい!っておねだりして連れてってもらいます。


f:id:kaina0121:20200923201003j:image

 


f:id:kaina0121:20200923201024j:image

ほんとに小さくてびっくりでした。

これは一人で歩いていたら見つけられなさそう…!

 

************

伝承によると、江戸期にあった池の近隣の茶屋にいた看板娘の名前「お玉」からとされる。

『江戸名所図会』によると、あるとき「人がらも品形(しなかたち)もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じ、亡骸(なきがら)は池の畔(ほとり)に葬られたとある。 人々が彼女の死を哀れに思い、それまで桜ヶ池と呼ばれていたこの池を於玉ヶ池と呼ぶようになり、またお玉稲荷を建立して彼女の霊を慰めたという。

また、江戸期の古地図では景勝地として現在の不忍池程度の面積を有していたらしいが、江戸後期頃から徐々に、神田山(駿河台)を削って埋め立てて宅地化されて、弘化2年(1845年)の時点で池自体も存在しない。 北辰一刀流の道場「玄武館」があった場所として有名で、千葉周作は「お玉ヶ池の先生」と呼ばれた。 この界隈には、儒者、漢学者などが多数住んでおり、江戸の学問の中心地でもあった。

於玉ヶ池 - Wikipedia

*************

 

渋沢さんもこの玄武館に通っていたと前回出てきましたね。

 

お玉ちゃんモテモテだったのですね。私ならとりあえずお友達として両方キープしてみますが、ぇ?そうじゃない?(笑)

 

お七もそうですが、時代とは。と思ってしまいますね。

 

 


f:id:kaina0121:20200923201244j:image

通りすがりの郡代屋敷跡です。

 

************

江戸時代に、関東一円及び東海方面など、各地にあった幕府の直轄地(天領)の、年貢の徴収、治水、領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった跡です。関東郡代は、徳川家康が関東に入国した時に、伊奈忠次が代官頭に任命され、のちに関東郡代と呼ばれるようになり、伊奈氏が十二代にわたって世襲しました。その役宅は初め、江戸城の常盤橋御門内にありましたが、明暦の大火(1657)で焼失し、この地に移りました。伊奈忠尊が罪を得て失脚した寛政4年(1792)以後は、勘定奉行関東郡代を兼ねてここに居住しました。文化3年(1806)に焼失した後、代官持ちとなって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。

ここから

**********

だそうで、まぁ、お役所があったのですね(ざっくり)

 

朝から何も食べていなかったので、おなかすきました。

途中、なか卯ランチ案も(私がなか卯行ったことないって言ったら…笑w)あったりしたのですが、なんとなく浅草橋まで来てしまいました。

 

ちょっとオヤツ!ってことで、チェーン店ですが、たい焼きを頂きます。


f:id:kaina0121:20200923201316j:image

 

あ、おいしい♡

完全に補給食ですっ(  '-' )!

もう少し頑張って歩けそう♪ 

 


f:id:kaina0121:20200923201347j:image

 


f:id:kaina0121:20200923201407j:image

銀杏岡八幡神社です。

いちょうがおかはちまんじんじゃ。

 

*********

後冷泉天皇の御代、源頼義公、八幡太郎義家公は、朝廷の命に依り奥州の安倍貞任、宗任を平定する為に奥州街道を下向の砌当地に至りました。当時このところは小高い丘で隅田川の流れを一望出来る絶景の地であった。一休止のため陣をとりました時、川上より流れくるものを拾い上げてみますと銀杏の枝でありました。その枝をこの丘の上に差し立て都の氏神を遥かに拝み「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願し旅立ち安倍一族を平定の後、再びこの地に帰り至りました時丘の上に差した銀杏の枝は大きく繁茂しておりましたので、義家公は御神恩に感謝し、この処に大刀一振を捧げ八幡宮を勧請いたしましたのが、康平五年(1062)当社の始と伝へられています。そしてこの銀杏は大樹となりまして、隅田川を上り下りする舟や街道を行き交う人々のよい目標となりました 

銀杏岡八幡神社 / 東京都台東区 | 御朱印・神社メモ

**********

今でもイチョウの木が何本も植わっていました。

もう少ししたら色づいてキレイなのでしょう~

 

八幡さまを少しお参りした後に、本には載っていないのですが、須賀神社


f:id:kaina0121:20200923201703j:image

【浅草橋】宮司さんと御朱印トークがはずむ神社!須賀神社へ行ってきた【東京の神社】※小さな神社の御朱印裏事情も掲載! | ちくブロ

中には入らず、入口だけ確認して先にすすんだので、どなたかのブログで宮司さんとの御朱印帳のハンコのあれこれについて語られている話などを見つけてみました。

 

メインストリートからはちょっと外れて、近道をし、鳥越神社へ~ 


f:id:kaina0121:20200923201511j:image


f:id:kaina0121:20200923201534j:image


f:id:kaina0121:20200923201426j:image

大きい!

立派ですね~!!

 

**********

当神社は、白雉二年(651)の創建。日本武尊天児屋根命徳川家康を合祀している。
社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年間(1064-52)奥州の安倍貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名づけた。以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑わい、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である

 

***********

鳥越神社(とりこえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある神社である。白雉2年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。例大祭に出る千貫神輿は都内最大級を誇る。 例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、例年6月に開催される。

御本社宮神輿は、台輪幅4尺3寸の元祖千貫神輿で有名。
狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きくより重く感じるので、昭和の初めよりその重さから都内で最も重い神輿と言われていた。

鳥越神社 - Wikipedia

**********

あーいいですね、おみこし担いだことあるんですよ。

 

私、丑年生まれなのですが、7年に1度お祭りのある地域に15年くらい住んでいたことがあって、丑年と未年にお祭りがあるのですが、年女(24歳)になるのを記念に(?)もっと地域に根付いた新しいことをしたいと思って、着の身着のまま(?)町内会~お祭りに飛び込んでみたんです。

 

たまたま、地域の本家当主と、メインの神社の宮司さんと、関東でも有数の担ぎ手の頭たちと知り合うことができて、快くお迎え入れてくださったのでとても楽しかったのを覚えています。

 

ずっとその地域に住んでいたら、また何年も関わることになったかもですが、引っ越してしまったので、今は全くかかわりなくなってしまったのが残念ですね。

 

ほんと、人に恵まれてるんですよ。

運でしか生きてませんwww

 


f:id:kaina0121:20200923201447j:image

********

本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代の後期の頃(1185)まで白鳥村と言われていた。日本武尊が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまったことから村々の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉(はくち)二年(651)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀った。その後、永承(えいしょう:1046~1053)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事に渡ることができた。義家公はこれ白鳥大明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。
「鳥越夜祭り」
六月九日に近い日曜日に鳥越神社の「千貫御神輿」が氏子によって町内を練り歩く。なかでも見ものは夜の宮入である。火入れ式のあとに氏子衆によってかかげられた百数十の高張提灯と担ぎ手の熱気によって祭は最高潮に達する。

********

町のお名前は、神社のお名前からきているのですね。

白鳥大明神だったのが、鳥さんのご加護のおかげで川を越えられたことより、鳥越大明神となったのですね。

 

この町名由来看板、あちこちにあるらしいですww

 

鳥越神社を出て少し行くともう浅草なのですが、蔵前一丁目交差点に、看板。

 


f:id:kaina0121:20200923201637j:image

 

天文台跡? また話が飛びますねぇ~★

 

*********

この地点から西側、通りを一本隔てた区画(浅草橋三丁目二十一・二十二・二十三・二十四番地の全域及び十九・二十五・二十六番地の一部)には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として天文台がおかれていた。
天文台は、司天台、浅草天文台などと呼ばれ、天明二年(一七八二)、牛込藁店(現、新宿区袋町)から移転、新築された・正式の名を「頒暦所御用屋敷」という。その名の通り、本来は暦を作る役所「天文方」の施設であり、正確な暦を作るためには観測を行う天文台が必要であった。
その規模は「司天台の記」という史料によると、周囲約九十三・六メートル、高さ約九・三メートルの築山の上に、約五・五メートル四方の天文台が築かれ、四十三段の石段があった。また、別の史料「寛政暦書」では、右段は二箇所に設けられ、各五十段あり、築山の高さは九メートルであったという。
幕末に活躍した浮世絵師、葛飾北斎の「富嶽百景」の内、「鳥越の不二」には、背景に富士山を、手前に天体の位置を測定する器具「渾天儀」を据えた浅草天文台が描かれている。
ここ浅草の天文台は、天文方高橋至時らが寛政の改暦に際して、観測した場所であり、至時の弟子には、伊能忠敬がいる。忠敬は、全国の測量を開始する以前に、深川の自宅からこの天文台までの方位と距離を測り、緯度一分の長さを求めようとした。また、至時の死後、父のあとを継いだ景保の進言により、文化八年(一八一一)、天文方内に「蕃書和解御用」という外国語の翻訳局が設置された。これは後に、洋学所、蕃書調所、開成所、開成学校、大学南校と変遷を経て、現在の東京大学へ移っていった機関である。
天文台天保十三年(一八四二)、九段坂上(現、千代田区九段北)にも建てられたが、両方とも、明治二年に新政府によって廃止された。

*********

 

正確な暦を作るためには観測を行う天文台が必要だったのですね。

お星さまをみて、はーきれい♡ というわけではなかったようです。

 

どんな天文台だったのかなー?とおもって、調べて見たら

 

f:id:kaina0121:20201011103439j:plain

富嶽百景葛飾北斎画 浅草鳥越の図 (千葉市美術館所蔵)

貴重資料展示室006 江戸時代の天文台 - 国立天文台暦計算室

 

こんな感じだったみたいですね。

なんだかイメージの天文台とはだいぶ違いました。

天文台といえば、ドーム型でおっきな望遠鏡が出てくるものだと…!

 

*************

幕府は延享四年(1747)、宝暦の改暦の際に神田佐久間町天文台を置いたが、10年程で改暦が終わると撤去された。ついで明和二年(1765)宝暦暦修正のため、牛込 (現在の新宿区袋町日本出版クラブ付近) に天文台が建てられた。こちらは修暦完了後も存続したが、木立が茂って観測ができなくなり天明二年(1782)に浅草片町裏に移転した。これが浅草天文台である。

 *************

お引越しの順序としてはこんな感じだったみたいですね。

神田→新宿→浅草 木が茂って観測できなくなったって…えぇぇ…。

 

まーなんか、天文台ですら行き当たりばったりなので、私の人生も行き当たりばったりでも大丈夫そうな気がしてきましたね(?)

 

そんな感じで、もう今日のお散歩はご飯食べておわりなのですっ。

 

浅草寺にも行ったのですが、定番のキビダンゴをたべて、花やしきと周辺のお店を散策しただけなので、歴史的なものはあまりないのですww

 


f:id:kaina0121:20200923201824j:image

ランチの前に、ご飯どころのお隣で、憧れのカレと記念撮影(笑)

 


f:id:kaina0121:20201017111021j:image

バンダイの本社なのです。

子供たちは会社見学もできたりするみたいですっ♪


f:id:kaina0121:20200923201838j:image

子育て時代に、めっちゃお世話になったカレにも、パンチをくらわせてみますw

 

横浜のアンパンマンミュージアムとか行ったな〜(懐かしい)

 


f:id:kaina0121:20200923201727j:image

なか卯ランチ案からはかけ離れて、ランチはドジョウか山芋にしませんかといわれ、バンダイ本社お隣のドジョウへ。めっちゃ素敵じゃないですか!

 

老舗感がぷんぷんしますね。

 

こんなところでごはん食べられるなんて幸せだなぁ♡

 


f:id:kaina0121:20200923201751j:image

 


f:id:kaina0121:20200923201931j:image

 


f:id:kaina0121:20200923201949j:image

 


f:id:kaina0121:20200923202618j:image

 

ドジョウは初めて食べましたが、大人の味でおいしゅうございました。

 

薬味も香り高くて、持って帰りたくなっちゃいました。別売してないのかな。

山椒大好きなんですよ!

 

ランチ後、浅草寺方面に観光に行きます。

じゃなくて古代東海道を再び浅草方面へ歩いていきます(*´˘`)


f:id:kaina0121:20200923202855j:image

 

駒形堂です。

何度もこの建物は見ていますが、名前は初めて知りましたw

 

f:id:kaina0121:20200923202048j:image

浅草寺の一部なのですね。

浅草寺の中のHPに駒形堂の記述がありました。

 

**********

駒形堂は隅田川にかかる駒形橋の傍らに建つ。推古天皇36年(628)に浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩が宮戸川隅田川)にご示現されたおり、この地に上陸されて草堂に祀られたという。すなわち、浅草寺発祥の霊地に建つお堂である。駒形堂の名の由来については諸説あるが、浅草寺の一山寺院住職の故網野宥俊僧正は、「駒形堂の地が観世音菩薩上陸の地であることから、隅田川に棲む魚類に対する愛護の必要を感じ、生物の守護仏である馬頭観音を祀り、人びとが心願成就の御礼として馬形の作り物を奉納したことが名の由来ではないか」と推考している。
駒形堂は、天慶5年(942)に平公雅によって建立されたと伝えられる。江戸時代は駒形堂のすぐ前に船着き場があり、ここから上陸した人びとはまず駒形堂のご本尊を拝んでから浅草寺に参拝した。堂宇の正面ははじめ川側に向いていたが、時代とともに現在のように川を背にするようになった。

 

www.senso-ji.jp

**********

す、、推古天皇? そんな古いのですね。

時代とともに川を背にするようになった…?どゆこと?
川の流れが変わったってことですかね…?

 

ちなみに、ランチ候補の3つ目の候補は駒形堂のお隣の、浅草麦とろ本店でした。

麦トロもおいしそう~~また何かの時に♪

 


f:id:kaina0121:20200923202911j:image

横の石碑には、付近の魚類の殺生を禁じた「戒殺碑(かいさつひ)」があります。

生類憐みの令で知られる五代将軍綱吉の時代に建てられたものみたいですね。

こんなことするのは綱吉さんくらいですね…?

 

さて、いよいよ浅草寺です♪

年2回くらいで浅草には遊びにきている気がします。

 

 f:id:kaina0121:20200923202811j:image

 

代表格なこの提灯にたどり着く前に、

 


f:id:kaina0121:20200923202108j:image

 
f:id:kaina0121:20200923202139j:image

 

立て続けに看板を経由しますw

今まで見たこともありませんでした。

 

写メだけとって後で読むシリーズへ。

ようやく提灯に近づけました(笑)

 

 

f:id:kaina0121:20200923202032j:image

 

りっぱりっぱ!

 

長くなってしまったので、浅草寺はまたいつか別枠で学びたいと思います。

さっき推古天皇とかでてきたので、歴史も古そうですね。

 

f:id:kaina0121:20200923202437j:image

 

仲見世も賑わいが戻ってきている感じでした。良かったね。

 


f:id:kaina0121:20200923202336j:image

 

きびだんご~♪ 


f:id:kaina0121:20200923202245j:image

 

本堂へのお参りは、並んでたのでまた今度。

 


f:id:kaina0121:20200923202517j:image

 

20年ぶりくらいに花やしきの前を通った気がします。

若い子がキャーキャー言ってて…(遠い目)

 

くるっと浅草寺界隈をまわって 、どこも混んでいたので、空いていたカフェでコーヒーを頂き、この日のお散歩は終了です♪

 

盛りだくさんでしたね!

こうやって点で覚えたり調べたりしたことがそのうち線でつながるはず♪

 

次回は、浅草寺から下総国国府方面へ向かいます。

 

 

今回のルートです!

 

https://twitter.com/maho_s_25257/status/1317260244519514114?s=20

https://twitter.com/maho_s_25257/status/1317260244519514114?s=20

https://twitter.com/maho_s_25257/status/1317260244519514114?s=20https://twitter.com/maho_s_25257/status/1317260244519514114?s=20

 

 


f:id:kaina0121:20201017092244j:image

 

 

↓過去のおさんぽ。

 

古道︰池上道(沼部~大井町)その1 ~3

古道:古代東海道(大井町〜芝)

古道:古代東海道(芝公園から大手町)その1~2

 

 

古道:古代東海道(皇居から浅草)その1

https://twitter.com/maho_s_25257/status/1317260244519514114?s=20

 


f:id:kaina0121:20200923195037j:image

 2020年9月22日(祝火)晴れ

 

久しぶりのお散歩です♪

古道︰池上道(沼部~大井町)その1 ~3

古道:古代東海道(大井町〜芝)

古道:古代東海道(芝公園から大手町)

 

3回のお散歩で、多摩川から皇居まできました。

今回は、皇居から浅草方面へ歩きます。

なんか段々と繋がってきた感ありますね!

 

東京古道散歩 荻窪圭/著

P.96 あたりのおさんぽです。

 


f:id:kaina0121:20200923195229j:image

ジテツウでもここを遠目に見ながらシェアサイクルで走るのですが、いつ来てもキレイですね。

 


f:id:kaina0121:20201027185031j:image

 

皇居、馬場先門です。

 

見切り発車して、ちょっと早くお家をでてきたので、芝生で座って、本を読みながら、今日のルートの予習をします。

 

芝生は家族連れがたのしそうに涼んでいました。

 


f:id:kaina0121:20200923195612j:image

 

本持さんと合流して、お散歩スタートです♪

前日に久々に長く走っちゃったので(東京:神戸岩(檜原村))、少し足が重たいな。

お散歩の途中でも「元気ないね?」「疲れてる?」とご心配頂いちゃいました。

気持ちは元気なのですが、表情には少し疲れが出ていたかもしれません。

 

元気ですよ!!(若かりし頃の回復力は、いずこ!!)

 


f:id:kaina0121:20200923195646j:image

内堀通りからみた東京駅です。

すこーしだけ、イチョウが色づいてきたようにも見えます。

銀杏がたわわに実っているのも見えます。秋ですね♪

 

あ、最初の皇居の看板をスッ飛ばしましたが、皇居は別枠できっと行くと思うので、その時にでも触れましょうか。

 

 

f:id:kaina0121:20200923195943j:image

古代東海道をおさんぽ!

将門の首塚の前を通ります。

 

(ん?カエル??)

 

大手町のビルの中に、どーんと首塚がありました。

毎日そばを通っていますが、こんなところに…あるとは…。

 

看板がたくさんあったので、ちょっとそのまま看板シリーズをお楽しみください。

 

 

f:id:kaina0121:20200923195730j:image

 


f:id:kaina0121:20200923195802j:image

 


f:id:kaina0121:20200923195916j:image

  


f:id:kaina0121:20200923200442j:image

 

かの有名な平将門さんですね。昔すぎて名前くらいしか知りませんね…(私だけ?)

 

***********

平 将門(たいら の まさかど、-將門)は、平安時代中期の関東の豪族。

平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫。

下総国常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。

しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。

死後は御首神社、築土神社神田明神、国王神社などに祀られる。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使した。

平将門 - Wikipedia

 

*************

 

桓武天皇がひひひひおじーちゃん。

38歳で殺されちゃったんですって。

 

戦のシーンは、このへんかな?

*************

急に風向きが変わり南風になると、風を負って勢いを得た連合軍はここぞとばかりに反撃に転じた。将門は自ら馬を駆って陣頭に立ち奮戦するが、風のように駿足を飛ばしていた馬の歩みが乱れ、将門も武勇の手だてを失い、飛んできた矢が将門の額に命中し、あえなく討死した。(島広山石井営所跡 私鉄守谷・野田市駅からバス国王神社向い)

その首は平安京へ運ばれ、晒し首となる。獄門が歴史上で確認される最も古く確実な例が、この将門である。

この将門の乱は、ほぼ同時期に瀬戸内海で藤原純友が起こした乱と共に、「承平天慶の乱」と呼ばれる。

**************

おでこに矢…いててて。

晒し首になったのですね…この首がですね…!

 

**************

戦いに敗れた将門の身体は、現在の茨城県坂東市の延命院に埋葬されましたが、首級は平安京に運ばれ都大路の河原にさらされました。しかし、無念やるかたない首は腐りもせず目を見開き、「胴体と首をつないでもう一戦しよう!」 と、夜な夜な叫んだと云われています。(ここから

 

3日後、白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島軍芝崎(東京都千代田区)に落ちた。台地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったという。村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。(中略)この地の守護神になったという。

**************

首が叫び飛ぶ…それは恐怖すぎるわ…。

ところで、将門さんは神田明神に祀られているのですが、なぜお墓がここに残っているのでしょう??

 

***************

一件落着となった将門の乱でしたが、将門のすさまじい怨念は後世まで続きます。
最初の不可思議な現象は、関東大震災で全焼した大蔵省庁舎の再建の時です。首塚を壊して仮庁舎を建設した僅か2年の間に、大蔵大臣を始め関係者14名が亡くなり、それ以外にも多くの怪我人・病人が続出したことから仮庁舎は取り壊されました。

 

次は戦後になり米軍が首塚を取り壊し始めたところ、重機が横転し運転手が亡くなったことから工事を中止しています。
更に昭和の高度成長時代、首塚の一部が売却され、その地に建った日本長期信用銀行首塚に面した行員が次々に病気になる事態が発生し、お祓いしたという話もあります。

 

これ以外にも将門の祟りは枚挙に暇がなく、現在でも隣接するビルは首塚に尻を向けないようにフロアレイアウトされていたり、首塚を見下ろすようなことのないように窓は設けないなどの配慮がされていると云ったことが実しやかに囁かれており、1000年以上経過した現代でも、その怨念を気にしています。

***************

大蔵大臣も死んじゃったの…。ひぇっ。

周りのビル(多分新しいビルが建っていたような…?)そんな作りだったかな? 今度前を通った時に気にしてみてみようかと思います。

 

(後日追記)


f:id:kaina0121:20201017094351j:image

周りのビルこみで写メってきましたっ

右のビルは2020年7月にできたばかりのOTEMACHI ONEですね。


f:id:kaina0121:20201017094856j:image

ホントだ。将門塚に背を向けないようなレイアウトになってますね

 

(将門さん、すご〜)

 

※追記ここまで

 

 

そいえば看板シリーズの中に、将門塚は酒井さん家の中庭だったったって書いてありましたね?

 

**************

酒井雅楽

酒井 忠清(さかい ただきよ)は、江戸時代前期の譜代大名江戸幕府老中、大老。上野厩橋藩の第4代藩主。雅楽頭系酒井家9代。第4代将軍・徳川家綱の治世期に大老となる。三河以来の譜代名門酒井氏雅楽頭家嫡流で、徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた酒井忠世の孫にあたる。

ja.wikipedia.org

 

***************

ほぅ。

将門さんの記述はないですが、この方ですかね?

 

***************

非常に早口な人物であり、落書「百物頭」や「中村雑記」などに、「早言の頭」「早口なる人」と記述されている。

第四子以外の全ての子女は正妻の子供であり、尚且つ唯一正妻の子でない第四子も最初の妻と死別後再婚前の独身時代の子供である。歴史作家の海音寺潮五郎はこの点を指摘して、家庭内では律儀な愛妻家であったのではないかと推察している。

綱吉が将軍に就任すると大老を解任され、越後騒動の再審が進められる中、忠清は解任からわずか1年後に突如没した(略)

*****************

早口の愛妻家♡

と、脱線してみましたが、あんまり興味がわかないので、次行きましょう。

 

 

将門さんで盛りすぎましたww

ちなみに、成田山は将門の乱鎮圧の際に朝廷から怨敵退治の祈祷を命じた諸社諸寺であるため、神田明神や筑土神社の氏子などは、成田山に参拝すると将門の加護が受けられないという伝承があるらしいですよ。

 

あ、もういっこ。

 

将門塚にカエルがたくさんあった理由! これ気になってたんですよ。

胴体を求めて飛んできた伝説から「無事にカエル」という意味があるそうです。

 

(帰るっていうか…胴体までたどりついてないじゃん? とか思っちゃったのは内緒です( '-' )

 

 

大手町という場所柄、現代では拡大解釈され、

首塚だけにこれ以上クビを斬られない」
「左遷されても舞い戻られた将門様に願かけすれば栄転して戻ってこれる」
「首を守る神様」
「海外赴任をするときに無事にカエル」
「地方に転勤になっても栄転して東京にカエル」

など縁起担ぎのパワースポットとなっているそうですよ。

 

「パワーが強く、不敬なことを嫌う将門様なので、軽い気持ちでのお参りは絶対に進めません」とのことなので、お願いするときは礼儀正しくきちっとお願いしましょうね。

 

さて、将門塚を出て新日本橋方面に歩いていきます。

 

JR新日本橋駅の4番出口を出たすぐのところに、こんな看板が立っています。


f:id:kaina0121:20200923201051j:image

長崎屋跡

******************

薬種商

江戸幕府御用達の薬種問屋であった。幕府はこの商家を唐人参座に指定し、江戸での唐人参(長崎経由で日本に入ってくる薬用人参)販売を独占させた。

(旅宿として)

この商家は、オランダ商館長(カピタン)が定期的に江戸へ参府する際の定宿となっていた。カピタンは館医や通詞などと共にこの商家へ滞在し、多くの人々が彼らとの面会を求めて来訪した。この商家は「江戸の出島」と呼ばれ、鎖国政策下の日本において、西洋文明との数少ない交流の場の1つとなっていた。身分は町人であるため江戸の町奉行の支配を受けたが、長崎会所からの役料を支給されており、長崎奉行の監督下にもあった。

 

カピタン一行の滞在中にこの商家を訪れた人物には、平賀源内、前野良沢杉田玄白中川淳庵最上徳内高橋景保などがいる。学者や文化人が知識と交流を求めて訪れるだけにとどまらず、多くの庶民が野次馬となってオランダ人を一目見ようとこの商家に群がることもあり、その様子を脚色して描いた葛飾北斎の絵が残されている。

長崎屋源右衛門 - Wikipedia

***************

その北斎の絵が、看板に描かれている絵なのですね。

他にも、輸入蘭書の販売や、西洋銃の入札払いもしていたそうで、結構手広く商売していたのですね。

それだけ手広くやってたのだから、今も何かしらの形で会社が残っているのかと思ったら、長崎屋の歴史は徳川家の歴史とともにあり、その滅亡とともにその歴史を終えたらしいのです。

 

あらら。

 

 

常盤橋です。ですが…工事中です。

東日本大震災で崩れかかってしまったのですね。


f:id:kaina0121:20200923200049j:image

 

ほぅ。石と石の間に隙間が空いている写真とかもありました。

8cm?何センチだっけ? なかなか盛大にズレちゃったみたいです(適当)

 

ん~~どこかから橋見えないかな~~と思ったら、見えました!

 


f:id:kaina0121:20200923201111j:image

 

おぉっ!! めっちゃキレイになってる!!

 

 


f:id:kaina0121:20200923200142j:image

 

もう少しそばで見るとこんな感じでした。白いの大理石?

これは結構出来上がっているのでは??

もうすぐ通れそうな雰囲気です。

 

そして、(上に高速がなければ)いい雰囲気なのではないでしょうか~♪

 


f:id:kaina0121:20200923200203j:image

本に書いてあった見どころだという、江戸時代の石垣はそのまま残っていました。

開通が楽しみですね。



f:id:kaina0121:20200923200417j:image

渋沢栄一です。

 

(ん~だれだっけ? 次の1万円札の人…! 実業家??政治家??)

 


f:id:kaina0121:20200923200252j:image

 

*************

日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一銅像は、日本橋川沿いにある常盤橋公園にある。
戦争による金属回収で一度は撤去されたが、昭和30年に再建された。
渋沢栄一は、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ)や東京証券取引所東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与した大実業家でした。
22歳で江戸へ出て、お玉ヶ池にあった玄武館で剣術修行をしている。また、神田小川町裏神保小道に住んでいたこともあった。 

スポット(渋沢栄一像)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda

***********

 

お玉ヶ池! この後出てきますよ。

玄武館があったのですね。埼玉県の生まれですが、このあたりに住んでいたこともあったみたいですね。

 

***********

 

ja.wikipedia.org

 

【碑文】
青淵澁澤榮一翁は 天保11年埼玉縣の農家に生まれたが時勢に激して志士となり 後轉じて幕臣となって 慶應3年歐州に赴き 民主主義自由主義を知る機會を得た 歸朝後大蔵省に任官して諸制度の改革に當ったが 明治6年退官し 同年創立された第一國立銀行の頭取となり 爾来産業経濟の指導育成に任じ關與した會社五百 常に道徳経濟合一主義を唱えて終生之を實踐し我が國運の發展に偉大な貢獻をした
また 東京市養育院等社會事業の助成 一橋大學日本女子大學等實業及び女子教育の育成 協調會等による勞資の協調 日華日米親善等世界平和の促進 道徳風教振作のために九十二歳の高齢に達するまで盡力し 昭和6年11月11日に逝去した
翁の歿後 財界有力者によりその遺徳顯彰の目的で設立された澁澤青淵翁記念會が 昭和8年此処に銅像を建立したが 第二次世界大戦中金属供出のために撤去された 然るにこのたび 銅像再建の聲が盛り上がり各界の有志によって 再び朝倉文夫氏に製作を委嘱し 舊位置にこの銅像を建て 東京都に寄附したのである
昭和30年11月
澁澤青淵記念財団龍門社

************

 

碑文は、文体が難しい…。

 

みずほ銀行JR東日本、帝国ホテル、東京海上日動東急電鉄東京ガス東京証券取引所日本郵船などなどたくさんの会社の設立にかかわったそう。

 

(すご~~)

 

なんて思ってたら、お向かいさんが日銀です。


f:id:kaina0121:20200923200227j:image

 

(日銀…? ってこんなんでしたっけ…?)

 

イメージの日銀って(高速からばかりみてるから…かな?)

 

f:id:kaina0121:20201003122415j:plain

こういう~ あれ?「円」に見える?

 

 

f:id:kaina0121:20201003122534j:plain

そそ、こういう~~~感じ?だったのですが、地上から見るとイメージと少し違うのですね。

**********

日銀本店が着工されたのは明治24年(1891年)。このとき紙幣で使用していた文字は「円」でなく旧字体の「圓」。この表記は戦後の昭和21年(1946年)に新字体の「円」になるまで変わっていません。そこで屋根の形は、意識的に設計したものではなく、「偶然の造形」というのが大方の意見のようです。

天空から2 日銀本店を上から見れば | フォーラムミカサ エコ

 

設計者は明治建築界の重鎮で、中央停車場(東京駅)、万世橋駅等、全国に数々の名作を残した、近代建築の父といわれたあの辰野金吾氏。

日銀本店の屋根の造形も、円という略字の固定化が今後決定的になってくるという読み、後に日銀本店よりも高い建物がどんどん出来てきて屋根の形が人々の目に触れるという建築家としての判断から、将来世間を驚かせてみようという辰野氏の仕掛けという気がします。

**********

 

円なのかな? どうなのかな?

今となっては真相はわからないのですね。

 

目の前の貨幣博物館に寄ろうか?と一瞬話がでたのですが、浅草につかないので、今回はスルーです。

また今度行ってみたいですね。

7世紀後半からお金っていう概念があったのですね。

 

いつだか、日銀の子供向けのHPを見たときに(あれ?とおもったら、「にちぎん☆キッズ」は2020年8月で提供終了しちゃったのですね)、

 

「おかねは、みんなが価値のあるものだと信じてないとお金として通用しないんだよ」

 

みたいなこと書いてあって、当たり前のことなのですが、結構衝撃でした。

 

www.imes.boj.or.jp

 

さて、日銀を出て、また少し歩いていくと歩道に…



f:id:kaina0121:20200923200601j:image

 石‥‥(笑) なんだこれはw

 

 

長くなってしまったので(将門さんが長かった…w)

続きは次回にしますね。

 

古道:古代東海道(皇居から浅草)その2 へ、つづく。

 

 

 

 

2020.08 じてつうまとめ


f:id:kaina0121:20200912175917j:image

 (夏の雲と東京タワー)

 

距離は片道約15km弱(往復30kmに少しかける)

駐輪場はミッドタウン日比谷地下。

ロッカー6000円~

 

※※※※※※※※※※※

 

 


f:id:kaina0121:20200912175525j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175534j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175546j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175559j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175609j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175515j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175623j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175634j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175642j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175652j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175700j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175707j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175717j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175726j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175737j:image

 



f:id:kaina0121:20200912175757j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175805j:image

 


f:id:kaina0121:20200912175815j:image

 

 

8月は18回ジテツウできました。

あとお買い物ライド1回で、計580kmでした。

 

9月はもう少し涼しくならないかな~♪

 

 

東京:クロスコーヒーから都内ぽた


f:id:kaina0121:20200811113700j:image

2020年8月9日(日) 晴れ 南西風ちょっと

 

(ピアスがワッニ!)

 

久々にジテツウ以外でお外を乗ります。

なんか前回もそんなこと言ったと思ったのですが、6月5日でした。

東京:神宮外苑から五日市駅のCANVASパフェ

おっと2ヵ月ぶり…。そしてこの時も2ヵ月ぶりって言うておる…。

 

 

 f:id:kaina0121:20200811113716j:image

 

GUの短パン(巻きスカート?…あんま巻いてないスカート?つき)の中にレーパン。

上はSLOLIの速乾長シャツ。

 

f:id:kaina0121:20200811120431j:plain

(これはSLOLIのモデルさん)

全体的にスポブラを見せる感じの生地感で、背中は一部メッシュになってる。せくしー。

 


f:id:kaina0121:20200811113726j:image

まぁ、そんなスケスケでタマサイ走るのも年甲斐もないので←

中にラファの濃いピンクのインナーを着て、そのインナーが首やらお腹やら背中から、ちら見えする感じで。

それもまたカワイイ。

 

ちょっと気を抜くと心拍計のシルエットが浮かび上がるくらいタイト。ある意味エアロ。

 

靴下は全然エアロじゃない、HappySocks.

数か月前にポタで履こう~と買っててようやく出番が……きたっっ!!

 


f:id:kaina0121:20200811183202j:image

 

背中ぽっけがないので、TRYCLEのサコッシュに荷物を入れて。

 

一緒に走る方とは、おうちのすぐそばで待ち合わせをして、目指すはクロスコーヒー(15km)

150kmじゃないですよ。15km.


f:id:kaina0121:20200811183448j:image

(サイトから)

入口で、にっしー(@ryoooo_nisshy)ご夫婦とばったり。奥様かわいいしっっ(キュン♡)

 

「どこまでいくの?」みたいな会話を少し交わし、にっしーご夫婦は時坂峠に行った帰りだと。我らは・・・ぇ?クロスコーヒーゴールですが(  '-' )!!


f:id:kaina0121:20200811113743j:image

あんバタートースト念願♡


f:id:kaina0121:20200811113755j:image

アサイー。味見させてもらったけども美味しかったー(⁎˃ᴗ˂⁎)!

 

あまりにも近いので、小山田半周して茅葺屋根のおうちを見に行こうか?(パンパティか南哲にお昼食べに行ってもいいんだけども?深大寺そば?)など、思惑やいくつか案もあったのですが、

 

「都内にお買い物に行こうか?」

 

私「(  '-' )????」

 

「ぽた服ないって言ってたでしょう?」

 

確かに、ジャージはタンス一段、衣替えするくらいあるんだけど、こういうシーンで着れるジャージはない…な(だからGUだったりSLOLIだったりするのですが。)

 

なんとなく246沿いの東京ウィールズに向かおうか〜?(ぽた服なイメージの店舗)、y'sウェア館(上野)か、y'sレディース館(御茶ノ水)か、パンダーニ(オンラインorナルシマ神宮)Rapha北参道)…ん〜?あとは?

 

ん〜? と言いながら都内に向けて走る…が、道を間違えて東京ウィールズにはつかなくてwww

 

通りすがりのピナレロを観光(青山)。

お盆休みでお店は閉まってました!

 

たぶん今後、ピナレロに乗ることはあるかもだけど、この店舗に行くことはないと思う(敷居が高くて〜)

マクラーレンにドグマ乗せるとか、全く参考にならない庶民です。


f:id:kaina0121:20200811113829j:image



f:id:kaina0121:20200811113901j:image


f:id:kaina0121:20200811113917j:image

はい、記念撮影。(ほら、心拍計www)

 

このあと、この先の交差点で派手なFactorに遭遇。

 

ままさんと同じカラーのFactorだなーって、ぼーっと見てたけど、こんなところであのカラーを乗ってるのなんて90%ままさんだろう!!? 賭けで手を振ってみる…?

 


f:id:kaina0121:20200811181713j:image

 

当ってた(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔 よかったwww

 

あまりにも暑いので、自転車を置いてこようと言う話になり、一旦各々の家に待避〜。


f:id:kaina0121:20200811113949j:image

ミッドタウンの脇を抜けながら、着かなかった東京ウィールズの位置だけ確認っ!

 


f:id:kaina0121:20200811190242j:image

50kmちょっとできたく〜!

この日は、また出かける気にはならなくて、 早めの夕飯にしてお買い物のリサーチ!

 


f:id:kaina0121:20200811232140j:image

何度か拒否られた気がしたんだけど…

 

(おそろい着るとかいう文化がないよね、わかる。)

 

空気読めないコなので、気にせず探してみる。

 


f:id:kaina0121:20200811114002j:image

次の日、昨日の続きで、y'sウェア館(上野)にてウェアゲット(๑•ㅂ•)و✧

一般メーカーでお揃いが欲しいと思うと、なかなか難しいのね。知らなかったわー。

 

んでもチームジャージって雰囲気でもないので、あくまでもメーカー服で探す。

 

初めて着るメーカーだなー(っ´ω`c)♡

次のライドが楽しみ♪

 

上野から歩いて浅草橋へ。

 

東京ウィールズ東日本橋で、今流行りの100%やらのアイウェアをかけてみる。


f:id:kaina0121:20200811190826j:image

↑画像はサイトから。


f:id:kaina0121:20200811114028j:image


f:id:kaina0121:20200811114039j:image


f:id:kaina0121:20200811114047j:image

…う〜ん??? だんだんやる気なくなっていく表情…。

 

なんか、アイウェアの主張が強すぎて、顔が行方不明だな。ここまで似合わない人も珍しいだろう(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔

 

はい、そっと戻す…。

アイウェアが似合う人になりたいなぁ…?

 

外国人離れした顔だちだからな〜。たはー(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔



f:id:kaina0121:20200811114215j:image
外苑前にあるブリヂストンのカフェ「RATIO&C」を盗撮。お盆休みですね。

またコーヒー飲みに来よう♪

 


f:id:kaina0121:20200811114127j:image

ケルビム青山や、そのほぼお隣に冬にオープンしたトレックストア青山もチラミ。


f:id:kaina0121:20200811174915j:image

(※↑の画像は拾い物)


f:id:kaina0121:20200811114204j:image

新しいシクロバイク。いいなこれ。

 

ナルシマ神宮は消耗品調達して〜初ナルシマでした、私。


f:id:kaina0121:20200811174804j:image

(↑の画像は拾い物)

 

そのまま夕焼けの中、ナリフリまでお散歩。

写真はサイトから。


f:id:kaina0121:20200811175316j:image

ポケモンのジャージが可愛かったな〜


f:id:kaina0121:20200811175454j:image

ファスナーの位置が珍しいね。

 

 

その後、ラスト5分でRaphaに滑り込み〜


f:id:kaina0121:20200811175744j:image


f:id:kaina0121:20200811175753j:image

(↑の画像は拾い物)


f:id:kaina0121:20200811180053j:image

これが見たかった!

イメージよりは鮮やかな感じの色合いでした〜Raphaピンク的な色味に近いかな。

 

北参道から電車に乗ってお買い物終了っ!

 


f:id:kaina0121:20200811180316j:image

そういえば、ステムデザインのホップ柄ジャージはしっかりとゲット(๑•ㅂ•)و✧


f:id:kaina0121:20200811180641j:image


f:id:kaina0121:20200811180657j:image

いつも使ってるこのキャップとお揃い♪

 

アルコール度数強めOK!

苦いの好き!!

 

って書いてあります(⁎˃ᴗ˂⁎)🍻

暑い中、ぽたしたりお散歩したりすると、ビールがおいしいね!

 

2日であちこち回ったなー。久しぶりの店舗めぐり楽しかったです♪

 

 

2020.07 じてつうまとめ


f:id:kaina0121:20200807233414j:image

(ちよくるカワイイ(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔)

 

距離は片道約15km弱(往復30kmに少しかける)

駐輪場はミッドタウン日比谷地下。

ロッカー6000円~

 

※※※※※※※※※※※


f:id:kaina0121:20200807233428j:image

(総括)

 

※※※※※※※※※※※

f:id:kaina0121:20200807233507j:image


f:id:kaina0121:20200807233521j:image


f:id:kaina0121:20200807233531j:image


f:id:kaina0121:20200807233545j:image


f:id:kaina0121:20200807233618j:image


f:id:kaina0121:20200807233640j:image

f:id:kaina0121:20200807233708j:image


f:id:kaina0121:20200807233725j:image


f:id:kaina0121:20200807233744j:image


f:id:kaina0121:20200807233800j:image


f:id:kaina0121:20200807233825j:image


f:id:kaina0121:20200807233838j:image


f:id:kaina0121:20200807233913j:image


f:id:kaina0121:20200807233855j:image


f:id:kaina0121:20200807233926j:image


f:id:kaina0121:20200807233945j:image


f:id:kaina0121:20200807233956j:image

古道:古代東海道(芝公園から大手町)


f:id:kaina0121:20200802095545j:image

2020年8月1日(土)くもり

梅雨明けのニュースとともにお散歩へ出発♪

 

古道:古代東海道(大井町〜芝) - ぽたがすき。

前回は大井町芝公園まで歩きましたが、今回はそれの続きです。

 

一国、桜田通りの東京タワー脇の坂は、「土器坂(かわらけざか)」と呼ばれているらしく、港区のHPによると、

*******

この辺りに土器(かわらけ)職人が住んでいたので坂名となった。また、渡辺綱が、ここで買い求めた馬かわら毛で名馬だったからという説もある。

港区公式ホームページ/土器坂(かわらけざか)

********

 

前回のルートの最後のほうに出てきた、赤羽町の由来にも同じようなことが書いてありましたね。


f:id:kaina0121:20200926094331j:image

ここには、土器町の由来が書いてあります。

 

土器の職人さんはなんとなく想像つきますが、かわらけ色って何色…?

 

f:id:kaina0121:20200824220101j:plain

Wikipediaから。

河原毛 - Wikipedia

 

キレイなお色ですね。なるほど。

土器とお馬ちゃんだとだいぶイメージ違いますが、名馬のお話が残っている土地って多いのですね。この手のお散歩ではよく出てくる気がします。

 

 

f:id:kaina0121:20200802091956j:image

坂の途中にある飯倉熊野神社です。

 

******

jinjamemo.com

********

 

社紋が八咫烏のため日本サッカー協会のサッカー御守が売られているのだとか。

サッカー少年たちよ、一度お参ってみたらいいプレーができるかもよ!!

 

 

さて、しばらく進むと、楽しみにしていたクランクの道です♪

 

( '-' )ハッ!!

 

私、クランクを見るのが楽しみだとか言った、今…!!

 

なんかお散歩楽しめてる感(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔

 

本持さんとお話しする中で幾度となく聞いた一国のクランク(普段、地図見ながら、こんな話ばっかりしてるww)

 

(本持さんのおはなしはこちら。古道散歩の本の持ち主さんです。)

 

今の一国からは想像できない曲がり角がここにあったそうです。

 

余談ですが、頂上の飯倉の交差点いつも(自転車で走っていると)坂の上でお巡りさんやバリケードに、やっとの登り切ったのに~おっとっと~~ってなるのですがロシア大使館があるそうで、厳重警備になっているのですね。

 

f:id:kaina0121:20200927080224j:plain

 

 

そそ、今は、クランクのお話でした。

 

 

 f:id:kaina0121:20200824221809j:image

黄色い線が今の一国ですね。カーブの外側、別の道でクランクになっているのわかりますでしょうか。


f:id:kaina0121:20200824221817j:image

昔の地図だと、こんな感じでカックンと曲がっていますね。

 


f:id:kaina0121:20200802092952j:image

カックン!!

 

一国がカーブじゃなくてカックンだったところ!

すごいでしょ!!! (?)

写真の奥に一国が横切ってます。


f:id:kaina0121:20200802093349j:image

クランクのトコロには、坂の名前がついた階段があります。

雁木坂(がんぎざか)だそう。

 

 

さて、暑いですがルンルンと旧東海道を登っていきます。

西久保八幡神社です。


f:id:kaina0121:20200802093103j:image

えーっと、八幡…じん…じゃ…

 

港区虎ノ門鎮座 - 西久保八幡神社

 


f:id:kaina0121:20200802092447j:image

 

( '-' )?

じん…じゃ?? 神社建て替え中でした。あらら。

こんなパターンもあるのですね。

また行かなきゃね。

 

そして、もう少し歩いて行ったところにあるのが、問題のこの神社。

本にも写真が載っていて、この小さい階段がついている神社。

f:id:kaina0121:20200802092021j:image

ふきしろ稲荷神社

 

******

ameblo.jp

 

******

f:id:kaina0121:20200824230030j:plain

 

拾い画像ですが、こんな雰囲気らしい。

この高低差がオツなのだとか。

 

でも、本日ご一緒していただいてる本持さんも、前回探したけれど、この神社は見つからなかったと…

 

んん?? 神社が見つからないとか(お散歩素人の私はよくあるけど)本持さんほどの方があるのだろうか…?

 

と思いながら歩いていると、ひらけた空間が突如として現れます。

 

えぇぇ。。。なんかめっちゃきれいなビルが…建ってる?工事中??

 

f:id:kaina0121:20200927081001j:plain

 

あのあやしげな神社の雰囲気なんて影も形もないのですが…場所はここ。

 

(ん~なくなっちゃったのかな??)

 

って、歩いていると、おぉぉ!! 看板の中に名前発見!


f:id:kaina0121:20200802092059j:image

 

ぇ?ぇ?? 左奥??

 

どこ???

 

半信半疑で地図の通りに行くとありました!

 

(イメージとずいぶん違う…)


風情ある高低差の雰囲気はかけらもないですが、小高い所に移設されていました。

 


f:id:kaina0121:20200802092120j:image

めっちゃきれいになってるー!!

 


f:id:kaina0121:20200802092131j:image

 

高低差はエレベーター完備! すごいww

これは…!と思って、本の著者である荻窪さんに即行メッセージ(๑•ㅂ•)و✧

 

西久保八幡神社は工事中だったり、ふきしろ稲荷神社は新築だったり…。

 

なんて日だ(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔!

 

 

 ってわけで、通りすがりの癒しのチョコレート♡


f:id:kaina0121:20200802092229j:image

 

撮影しないで食べちゃった♪ めっちゃ美味しかった。また買いに行かなきゃ♡

 

ルートからは外れるのですが、近いからってことで、愛宕山へ。

出世の階段でも有名な地ですね。ここをお馬ちゃんで登ったのだとか。ほんと?


f:id:kaina0121:20200802092153j:image

 

坂の勾配って写真にとると分かりにくくなるのですが、ほんと急ですよココ?


f:id:kaina0121:20200802092214j:image

どうやったら勾配がうまく写るかなー?? ってあーでもないこーでもないって撮影していたのですが、ん~わかる?

 


f:id:kaina0121:20200802092427j:image

 

若い女の子がコケるくらい急だったんです!

 

(キャッキャしてました…遠い目)

 

 

*********

愛宕山

愛宕山からの景色。標高26m.

f:id:kaina0121:20200825231504j:plain

 

出世の石段

徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている

 

ja.wikipedia.org

********

 

家光さん、そんなわがまま言っちゃったのね。

 

そういえば、愛宕山のパノラマの撮影者なのが、フェリックス・ベアト氏らしいのですが、この方、後日(古道散歩とは関係なく、自転車のレースを見に行った)宮ケ瀬湖の資料館にも、ベアト氏撮影の写真パネルが飾られていて、あー!っとリンクしました。

 

**********

フェリックス・ベアト(Felix Beato 1832~1909)イタリア生まれのイギリスの写真家、1863年から1884年まで日本に滞在して日本各地の名所、風俗、人物を撮影した。愛宕山からみた江戸のパノラマ写真は慶応元年(1865)~慶応二年(1866)の撮影と伝わる。

***********
 
この手のお散歩をしていると、たびたび彼の写真が出てきそうですね。

20年以上日本にいたのか~!

 


f:id:kaina0121:20200802093017j:image

お腹減ったので愛宕山のお店で腹ごしらえ~(おうどんおいしかった♡)

 

NHKの放送博物館愛宕山の頂上にあるとのことで、寄ってみる?タダだし(笑)

 

館内では、8Kの映像や、愛宕山NHKJOAK)ができたときのお話や放送の歴史などが展示されていました。

 

*********

1925年3月22日朝9時30分、東京芝浦の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声が流れました。

アナウンサーは、JOAKを「ジェーイ、オーウ、エーイ、ケーイ」と遠くに呼びかけるように読み上げました。7月、愛宕山で本放送が始まり、愛宕山は“放送のふるさと”と呼ばれるようになりました。

www.nhk.or.jp

 

月曜休館が多いみたいです~行く方チェックしてみてくださいね。

************

 


f:id:kaina0121:20200802092349j:image

そして、予期せぬところで幼馴染と再会。

 

ちょっとちょっと!!

じゃじゃまる♡ ぴっころ♡ ぽろり

もう超久しぶりすぎる!! 感激ー!!

 

今日イチ、テンションをあげながらNHK放送博物館で遊んでから、皇居方面へ。

 

 

そういえば、東海道を歩いているんでした!ってことで東海道に戻ります。

 


f:id:kaina0121:20200802093409j:image

その前に寄り道、天徳寺。

愛宕山と一国の間くらいにあります。

 


f:id:kaina0121:20200802093418j:image

 

中をひとしきり回ってから、外の看板を読みます。

 

有形文化財… ぇ、板碑?いたび?? どこにあった…?

 

*******

ameblo.jp 

f:id:kaina0121:20200825233636j:plain

**********

 

探せなかったので、この方のブログより。(ありがとう!!)

これは難易度高いですね。

 

天徳寺をでて、先程のチョコレート屋さんを曲がり、てくてく皇居方面へ歩いていきます。

 


f:id:kaina0121:20200802093430j:image

虎ノ門のビルとビルの間に、これはまた立派な神社!

 

金刀比羅宮ですね。何年も前ですが、この神社の前にある虎の門病院に祖母が入院していたことがあり、お見舞いに行った際にチラッと見た記憶があります。

 

************

当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。

www.kotohira.or.jp

**********

昔は月一しか参拝できなかったのですね~。

その名残で、今でも毎月10日に境内に露店がでてにぎわうそうですよ。

虎ノ門に10日に行くことがあればチェックですね!

 


f:id:kaina0121:20200802093438j:image

 

霞が関跡です。

霞が関って、関所なイメージは全然なかったのですが、関っていうくらいだから関所なのですよね(?)

「カスミガセキ」というひとくくりの大きな地域で、政治の中心というイメージでした。

 

*********

現在の千代田区霞が関にあたるかどうかについては異論もあり、具体的には新宿区霞岳町、狭山市下広瀬、多摩市関戸などが候補。

*********

江戸時代には大名屋敷が建ち並ぶ地域であった。江戸城本丸に近いにもかかわらず、上杉家や浅野家などの外様大名の屋敷もある点が丸の内との違いである。明治時代になり、福岡藩屋敷に外務省が置かれたことをきっかけに、井上馨外務大臣を中心として「官庁集中計画」が持ち上がりドイツから建築家を招いて大規模な都市計画が立てられた。しかし大審院と司法省が完成した時点で予算不足のため計画は大幅に縮小された。その後、大手町から内務省と大蔵省が移転するなど、少しずつ中央官庁街の体裁が整っていった。

霞が関 - Wikipedia

***********

 

あら? 関所じゃないかも説も出てきました(笑)

 

f:id:kaina0121:20200926091829j:plain

霞かせき 広重

(出典:国立国会図書館所蔵)

 

昔、霞が関からは海が見えたらしい♪

 


f:id:kaina0121:20200802093704j:image

法務省です。

自転車で前を通るたびに(とてもきれいな建物だな~)と思っていたのですが、法務省でした。

 

***************

旧司法省庁舎として1895年に竣工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築である。基本設計は建築顧問官を務めていたお雇い外国人のドイツ人建築家ヘルマン・エンデ(Hermann Gustav Louis Ende)とヴィルヘルム・ベックマン(Wilhelm Böckmann)で、実施設計と工事監理は河合浩蔵が行った。官庁集中計画は頓挫したが、旧大審院最高裁判所)庁舎とともに明治の近代公共建築を象徴する建物となった。

 

ja.wikipedia.org

************

関東大震災では残ったのに、空襲で壊れちゃったのですって。

***********

この敷地は江戸時代に米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)として使われており、その記念碑も建立されている

***********

上杉家の記念碑は、お堀に近い角の所に立っているそう。

今度見てみるかな?

 


f:id:kaina0121:20200802093233j:image

というわけで、皇居着~!
毎朝見ている光景ですが(ジテツウのゴールが日比谷なのです)何度見てもいいですね。徒歩できてもまた◎

 

皇居周辺を散策して、この日はお散歩終わりです。

丸の内仲通りでは、三密を避けるプロジェクト、丸の内STREET PARKが開催されていて(2020.07.27~09.06)木陰の中でコーヒーをのんでまったり♪

 


f:id:kaina0121:20200802093250j:image 

 


f:id:kaina0121:20200802093854j:image

 


f:id:kaina0121:20200802093733j:image

 

今回のルートです。



f:id:kaina0121:20200926095519j:image

 

www.relive.cc

 

 

さて、次回は、丸の内から浅草方面へ向かいます~!

 

*******

古道︰池上道(沼部~大井町)その1

古道︰池上道(沼部~大井町)その2

古道︰池上道(沼部~大井町)その3

古道:古代東海道(大井町〜芝) 

 

2020.06 じてつうまとめ


f:id:kaina0121:20200710093655j:image

(MARUNOUCHI ONE

大手町に新しくできたビル。)

 

 

距離は片道約15km弱(往復30kmに少しかける)

駐輪場はミッドタウン日比谷地下。

ロッカー6000円~

 

※※※※※※※※※※※

 


f:id:kaina0121:20200710093826j:image

 


f:id:kaina0121:20200710093843j:image

 


f:id:kaina0121:20200710093853j:image

 


f:id:kaina0121:20200710093901j:image

 


f:id:kaina0121:20200710093908j:image

 


f:id:kaina0121:20200710093917j:image

 


f:id:kaina0121:20200710093925j:image

 

やっとこ仕事復帰でジテツウも復活♪