古道︰池上道(沼部~大井町)その2
その1からの続きです。
光明寺は少しルートから外れるので、少し戻って古道ルートの旧六郷用水跡の緑道をだとる道へと入ります。
藤森稲荷神社ですね。
こんな感じだったかな??
というか藤森稲荷を見てから光明寺に行けばよかったのですね(笑)
藤森稲荷神社を調べてみたのですが、詳細不明です…。
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新編武蔵風土記稿の光明寺項に「稲荷社。大門前古松の傍にあり。藤森稲荷社と号す」と記載されているので、新編武蔵風土記稿が完成した1830年には、ここにあったのでしょう。
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という記述を見つけました。
しんぺんむさしふうどきこう…??
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「44荏原群 6六郷領 鵜(ノ)木村」この辺かと思います。
ご興味ある方は国立国会図書館デジタルコレクションを読んでみてください。
(開いたけど諦めたw)
このあたりになってくると六郷用水の看板がちらほら出てきます。
公平に分流されていたらしい。ほぉ~お水の量が違うと喧嘩のもとになりそうですね。
小泉次太夫…いきなり知らん人が出てきましたが…。
家康さんのお役に立った土木専門の家系の方…なのですかね。
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小泉 次大夫(こいずみ じだゆう、天文8年(1539年) - 元和9年12月8日(1624年1月27日))は戦国時代から江戸時代初期の旗本代官および用水奉行。名は吉次(よしつぐ)。
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用水奉公ですって。そんな職業もあったのですね。
ウィキからつづきを…!
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天正18年(1590年)に関東六ヶ国に転封となった徳川家康が江戸近郊の新田開発を計画した際、五万石相当の土地を預かる代官職に抜擢された。 次大夫は多摩川から農業用水を引く用水路敷設を進言して採用され、以降稲毛・川崎領(現在の神奈川県川崎市)に移り住み用水奉行を務める。
(抜粋)
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ここから7年後に六郷用水に着手したのですね。
家康「この辺開発したいんだよね。」
次太夫「じゃぁ、やっぱり水ですよね!」
家康「やっぱり? OK! やってみる?」
次太夫「御意。」
で、実現して、名を残すのだから、やり手だったのですね。
( '-' )!!
はい、次!
これ通りに道にあるのですが、謎なのです…。
石碑だけあって神社はなく。
御嶽神社?
ん~わからんのでパスっ!
御嶽山駅のところの御嶽神社と関係があるのかな?ないのかな??
さて、メインの目的地です。
正面の階段は96段あります。
お散歩のときは、本持さんと96段数えて登りましたが、撮影の日は一人なので(しかもランの格好してる)駆け上がりますっ。
途中小学生が競ってきて、本気で登ってしまいました。
大人の威厳を見せつけましたっっ
(๑•ㅂ•)و✧!!
まさかの本門寺で汗だく…!
(でもそんな階段トレーニングしてる人いっぱいいたわ〜ww)
上から見下ろすと、風が抜けてとっても気持ちがよかったの♪ 息を整えて境内をまわります。
ところで、池上本門寺のHPをみていたら、ちょっといい話というコーナーがあり、6月号を読んでみました。
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この(コロナの)影響により、今までの当たり前という日常生活に変化をもたらし、皆さまも一つ一つの当たり前がいかに有難いことであったか気付かされたのではないでしょうか。「何でもないようなことが幸せだったと思う」とはある歌詞の1フレーズです。
(中略)
自分さえよければそれで良いという時ではなくなりました。一人一人が相手を思いやり、手を取り助け合い支え合い、日蓮大聖人がお示しになられた「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」というお言葉を心に留め、一日も早い終息を願いながら今あることへの感謝を忘れず、充実した日々を過ごして参りましょう。
(抜粋)
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何の歌詞だろう?とおもったら、「ロード」ですかね? 高橋ジョージさん。
1993年ですって。
~♪
何でも
なんでもない夜の事 二度とは戻れない夜
~♪
ぁ、懐かしいですね。
思いやり、支えあい、今を感謝し、充実した日々を。良いお言葉です。
お坊さん、良いコラムをありがとうございます。
大堂です。
お散歩のときは、この大堂の前に、大きな木の…棒???が立っていたのですが、なくなっていました。
なにか書いてあったのですが、なんだったかな…写真撮っておけばよかったです。
前田利家室の層塔
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大田区HPより
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ぁ、前田利家さんのではなく、寿福院さんのなのですね。
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前田利家の正室・まつ(芳春院)の侍女として前田家に入り、文禄・慶長の役において名護屋の陣中にあった利家の身の回りの世話を務めた際にその美貌を見初められ側室となった。名護屋で懐妊し、四男・利常(後の2代藩主)を生んだ。
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お綺麗な方だったのか~。ほぉ~うらやましいの。
やっぱり美人はお得だよね。
奥にもう一つ層塔があります。
加藤清正室の層塔
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大田区HPより
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正応院さんね。
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清正の側室となり、慶長6年(1601年)に虎藤(忠広)を産み、同12年(1607年)に幼い虎藤が病死した兄・忠正に代わって将軍家の人質に江戸へ上るとき、共に江戸屋敷に入ったようである
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加藤清正さんの家臣の娘さんみたいですね。
上司のお嫁さんに自分の娘を…とか現代じゃ考えられない…!!!
五重の塔です。りっぱ!
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徳川2代将軍となる秀忠公が15歳の時、悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいってしまった。熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、のちに秀忠公は快方したので、そのお礼として建てられた塔。
桃山期の五重塔は全国で1基だけであり、文化遺産としての価値は極めて高い。
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しかも続きがあって、塔を建てて7年後の…
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慶長19年(1614)の大地震で傾き、元禄15年(1701)、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築、修復された。その後、数度の修理を経て、平成9~13年、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。
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平成13年って最近すぎません…!?
なんだか色んな方に、とっても大事にされてきた五重塔なのですね。
中には入れなかったのですが、霊宝殿もあります。
大人300円(高校生以上)、小人200円
日曜日だったら開いているみたいです。しかも展示品は毎月入れ替えています、と書いてあります。
好きな方は、毎月通わねばですね♪
経堂です。
昭和20年4月15日の空襲の際も、五重塔・多宝塔・総門などと炎上を免れたらしいです。上の境内案内のページに記述がありました。
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輪蔵(注釈)形式で、内部には回転する八角形の書架があり、一切経が収められていました。
(注釈)輪蔵(りんぞう) 蔵の中心に軸を設け、仏教の経典を収めた蔵ごと回転させることができるようにしたもの。
大田区HPより
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八角形でくるくる回るっっ!!
輪蔵形式ね…お散歩のときは扉が開いていて、くるくる回るところを見ることができたのですが、撮影に来た日は時間が遅かったのかな?平日だったからかな?閉まってました。
多宝塔です。
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池上本門寺宝塔は、日蓮宗の宗祖・日蓮の
宝塔は、上下層とも円形の平面をもつ木造の仏塔で、屋根は
内部空間を持つ木造の宝塔は全国的にも類例が少なく、宝塔形式の塔としては最大規模の
大田区HPより
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概要って大田区のHPに書いてあるのですが、半分も理解できない…。
ん、読んで理解できる方は知識としてとどめておいてくださいね。
なんかすごくイイヤツらしいです!
私としては、見て、『立派!!!』なので、それで充分です(笑)
本行寺です。お隣さん。
日蓮さんがご臨終された間があります。
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池上家滞在中、すでに重い病にあった日蓮聖人ですが、ご入滅になられるまでの約1ヶ月間、このお部屋で多くの弟子、信者に法華経や立正安国論をご講義なされました。ご講義の際に日蓮聖人が寄りかかっていたとされる柱の一部は、今でも「ご臨終の間」に置かれ、触れていただくことができます。
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あ、これ触っちゃいました!お散歩のときに。
なんだかご利益ありそうな( *´꒳`*)◞♡
ここに行ったらぜひ奥の廊下もまわってみてください。きれいなお庭を見ることができます。
お散歩のときは入れたのですが、撮影の日は15時過ぎていたので、中に入ることはできませんでした。
ぁ、そういえばココはお散歩のときの写真がありました。お庭はこんな感じです。
ソファに座ってぼーとしているだけで、心地よい時間が過ぎます♪
日蓮さんです。
日蓮さんのわきに、日本看護婦会慰霊塔というものもありました。
看護婦って単語を久々に目にした気がします。いまは看護師さんですね。
この方が詳しく書いてくださっていました。
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昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云われている。
しかし従軍したのは日赤の看護婦だけでなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり学徒隊」等女学生にも及び、その方たちの犠牲を合わせると殉職者の数は膨大な人数に上るが、正確な記録は残されていない。
(上記リンクより抜粋)
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なるほど。
いつの時代も医療従事者の方には感謝してもしきれませんね。
さて、池上本門寺を出発して池上道をルンルン走り、大森駅方面へ向かいます。
いにしへの東海道という看板?がちらほら出てくるのでわかりやすいですね。
とおもったら、道端に出てくるこういうヤツ!
何だキミは…読めないし…!
それと、途中の石屋さんのガラスに映る私の撮影日姿を覚書程度に載せておきますw
その3へ続く。
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