ぽたがすき。

2年間おやすみしていたロードバイクを、また少しずつ乗っていこうかな?と思っているお話。

古道︰池上道(沼部~大井町)その1

 

https://twitter.com/maho_s_25257/status/1269897551378956288?s=20

2020年5月9日(土)晴れ
追加撮影 5月27日(水)晴れ

 

前回は、左ルートを行きましたが、今回は右ルートです!


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グリーンの方ですね。

「池上道」

 

お散歩をし始めたきっかけは東京古道散歩という本をお借りしたところから。
今回はこの本の P.48 池上道ルート。

ピンクの品川道のお話はこちら

 

本持ちさんとお散歩をした日はあまり写真を撮らなかったので、後日ミニベロにて、しゅ~っと撮影に行ってきました。ご近所ですので。

 

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見慣れた丸子橋をスタートします。

自転車でお出かけするときの待ち合わせ場所としてよく使うところです。


お散歩の日は、大森駅スタート→多摩川ゴールにしたので、自転車ルートはおさんぽした道を逆走。軌跡が出るアプリを動かしているので、間違えないように気を付けながらww

 

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丸子橋からタマサイを下流に方面に向かう時に、車道からタマサイに入ったすぐのところにある看板です。

たぶん何十回も通っているけれど、今まで目にも入っていませんでした。

 

丸子橋が昭和9年にできるまでは、この場所で「まるこの渡し船」があって船で往来していたのですね。

 
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さて、池上道をたどっていきます。

最初のチェックポイントは密蔵院。

 

mitsuzo-in.jp

真言宗のお寺さんなのですね。日蓮さん関連が多いので、前回、日蓮宗については少し学びましたが、真言宗…?とおもったら、密蔵院のHPに解説が載っていました。

 

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真言宗は仏教の中でも密教といわれる宗派です。
仏教は今から2500年ほど前にお釈迦様が悟りを開かれ仏陀となられたことを出発点としています。 インドで生まれた仏教は、中央アジアを通って、中国、モンゴルなどに伝わりその後、 朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来しました。弘法大師によって開かれた真言宗は、 仏教の中でも特に密教であるといわれます。
密教とは「仏さまの秘密の教えを明らかにした教え」という意味です。 そしてこの教えが弘法大師により日本に伝えられ、真言宗となるのです。

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(あー、密教って、秘密の宗教なんじゃなくて、秘密を説いた宗教ってことなのですね。そろそろ仏教についてお勉強しなきゃいけないんじゃないかと思ってますデス…。)

 

智山派の総本山は、京都東山七条にある智積院なんですって。

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智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。

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(まぢか!京都以外は、全部行ったことある!)


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玉川八十八か所?

 

onsen.onsenzuki.iinaa.net

あ、なるほど。多摩川周辺の真言宗のお寺ばかりを88か所お参りするのですね。

密蔵院は56番目らしい~。

 

とりあえず、入り口に看板が(たくさん)あって、写真撮るだけとってきたので、読んでいきたいと思います。

 

(最近この手の看板は「あとで読むシリーズ」と呼んでいて、現地ではほとんど読まず…理解できないし…写メるだけ写メって、ブログ書くときに調べながら読んでますw)


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青面金剛及び二童子四夜叉立像】

これについては、HPに画像付きで紹介がありました。
お時間れば公式さんをのぞいてみてください。モモタロウなどの昔話に出てきそうな感じのキレイな色が施された立像が見られます。

 

mitsuzo-in.jp

 


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庚申供養塔

上記のリンクと同じページに説明があります。品川道の洗足池の手前でも庚申塔って出てきましたが…庚申塔…とは??

 

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庚申様の信仰は古く推古天皇の御代、聖徳太子が佛の所説に基づき「大青面金剛明王垂化記」を記述されたことにはじまります。当院ご本尊の大青面金剛尊は、昔から多くの御信者により「沼部の庚申さま」として近郷近在に知れわたっていました

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庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られることもある。

ja.wikipedia.org

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(なるほど…道端に庚申塔があったら古い道だったり過去の村の堺目だったり道標だったりするのですね。)


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ご本尊は、大日如来坐像。小さめ。

 


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 弘法大師坐像。

これも密蔵院のHPに記載ありましたね。

 

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本像は木造寄木造り、彩色像高40㎝、像底の墨書銘によれば、寛永7年(1630)に再興され、宝暦7年(1757)に修復されました。
※00 年に再修復

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弘法大師さんね。いわゆる空海さんですよね。あの、高野山の。一度行ってみたいんだけどな、高野山

 

…ん~私の乏しい知識はこのレベル(笑)

 

Googleせんせ~

 

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空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)。

日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭(へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。

ja.wikipedia.org

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〔豆知識〕

香川県生まれ。高知県の”ミクロド”という洞窟で修行していた時に明星が口に飛び込んできて悟りを開く。この洞窟で目にしていたものが空と海だけだったので「空海」と名乗るようになった。31歳で長安に留学。43歳で嵯峨天皇から高野山を賜る。一流の文人でもあったが土木技術や薬学も学んでいた。全国でたくさんの温泉を発見した? 四国八十八か所参りは空海さんゆかりの地を巡る道。死因は病死(?)

 

そういえば、弘法と入っていることわざもありますね。

 

「弘法も筆の誤り」

空海嵯峨天皇からの勅命を得、大内裏應天門の額を書くことになったが、「應」の一番上の点を書き忘れ、まだれをがんだれにしてしまった。空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き直したといわれている。このことわざには、現在、「たとえ大人物であっても、誰にでも間違いはあるもの」という意味だけが残っているが、本来は「さすが大師、書き直し方さえも常人とは違う」というほめ言葉の意味も含まれている。

 

「弘法筆を選ばず」

文字を書くのが上手な人間は、筆の良し悪しを問わないという意味のことわざ。ただし、性霊集には、よい筆を使うことができなかったので、うまく書けなかった、という、全く逆の意味の言及がある。良い道具の選択が重要であることも世には多く、「弘法筆を選ぶ」のように全く逆に転じた言い回しもある。

 

なるほど、ことわざも掘ってみると面白いですね。

 

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高野山では、空海弘仁7(816)年に嵯峨天皇から高野山を賜り、真言密教の道場を開いた「開創」と、空海が承和2(835)年に入定(永遠の瞑想)したことに合わせた「御遠忌」の2つの大法会をそれぞれ50年ごとに開いている。

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え?50年ごとに御遠忌?
と思って調べてみたら、2015年に開創1200年だったのですね。

 ってことは次は2065年?生きてるかな~(笑)

私、元気なので、生きてる気がする(*ˊᗜˋ*)w‪𐤔

 

さて、密蔵院だけで盛りだくさんになってしまいましたが、先に進みます!

 


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六郷用水の跡をさかのぼります。

 

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六郷用水

多摩川を水源とし、世田谷領と六郷領、つまり現在の狛江市から世田谷区を通り大田区に至る用水路であった。 延長は23kmで、49の村、約1500haに、主に農業用水として水を供給した。一部区間(世田谷区岡本〜大田区田園調布)は丸子川として残っている。

(抜粋)

ja.wikipedia.org

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あ、丸子川は六郷用水の一部なのですね。等々力渓谷と交差するところなどありますもんね。なるほど。我が家、丸子川も近いのですが、お散歩道としてはとても良いことろで子供たちが虫取りして遊んでいたりする光景を見かけます。

 


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また庚申塔が出てきましたね。

さっき学んだのでばっちりです♪

 


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地域の人々のくらしの無事を祈る風習。

ほー。いいですね。

 


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ちょっと、鵜の木松山公園に寄り道します。

 


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ここには、横穴墓群があります。公園の上までいくと小高い丘の上にでます。

風が抜け、武蔵小杉のビル群などが見えて眺めのいい公園となっています。

 


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鵜の木一丁目横穴墓群について

多摩川流域の横穴墓は、古墳時代(6世紀末)から奈良時代(8世紀前半)にかけて台地斜面に横穴を掘って造られた地域の有力者のお墓です。大田区周辺の台地斜面では、鵜の木大地をはじめとして、いままでにおよぞ260基の横穴墓が発見されています。

(一部抜粋)

 

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(ライトアップされていてびっくりしました( '-' )!

外が明るいので覗かないとライトがついていることすらわからない感じです。)

 

260基もこんな感じのがあったら、穴だらけですよねww

 

 

さて、次の目的地に向かいます。



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光明寺です。環八沿いに突如として大きな白い壁が出てくるのですが、そこが光明寺の敷地となります。

古くは多摩川が通っていたらしく、それが池となって残っているとのことですが、境内から見えません。


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青いマルが江戸時代ごろの池で、紫のマルが今の池ですね。


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さらに古く、古多摩川はこんなラインだったとか。

 

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たぶん、この奥くらいが池~??

見えない…(¯∇¯٥)

 

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光明寺

天平年間(729年~749年)、行基によって開山された。その後弘仁年間(810年~824年)に弘法大師空海によって再興されて真言宗の寺院となり、「関東高野山」の異名をとった[1]。

ところが寛喜年間(1229年~1232年)になり浄土宗に転宗した。当寺の行観は、弘法大師の寺が消滅することを惜しみ、別に一寺(宝幢院)を設けて隠棲し、二世以降を真言宗の僧侶に譲ることにしたという。そういう経緯から、宝幢院と同じ院号・寺号「宝幢院光明寺」を持ち、当寺は「光明寺」を、もう片方の寺は「宝幢院」を通称とすることになった[1]。

1239年(延応元年)には、浄土宗西山派から浄土宗鎮西派に転属している

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ほぅ~なんか謎多きお寺。

光明寺についてあまり有力なネットのページは見つけられなかったのですが、下丸子周辺の昭和初期と現在の様子を写真で見られるページがあったのでリンクをはっておきますね。

http://touyoko-ensen.com/syasen/ohtaku/ht-txt/ohtaku09.html

 

 

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光明寺には古墳があります。

円墳で、直径23m。高さ3m。本堂の右手のスロープを上がった先の墓所にあり、頂上に木が植えられています。

この木に見とれていると、地面から飛び出ている(これなに??)突起に足を引っかけます( ˘•ω•˘ )

 

お散歩と撮影と2回行って、2回ともこけそうになりました…!

次は…気を付けよう(笑)

 

さて、池上本門寺方面へ向かいます!
 

 その2へ続く

 

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古道︰池上道(沼部~大井町)その1

古道︰池上道(沼部~大井町)その2

古道︰池上道(沼部~大井町)その3