古道:古代東海道(芝公園から大手町)
2020年8月1日(土)くもり
梅雨明けのニュースとともにお散歩へ出発♪
前回は大井町~芝公園まで歩きましたが、今回はそれの続きです。
一国、桜田通りの東京タワー脇の坂は、「土器坂(かわらけざか)」と呼ばれているらしく、港区のHPによると、
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この辺りに土器(かわらけ)職人が住んでいたので坂名となった。また、渡辺綱が、ここで買い求めた馬かわら毛で名馬だったからという説もある。
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前回のルートの最後のほうに出てきた、赤羽町の由来にも同じようなことが書いてありましたね。
ここには、土器町の由来が書いてあります。
土器の職人さんはなんとなく想像つきますが、かわらけ色って何色…?
Wikipediaから。
キレイなお色ですね。なるほど。
土器とお馬ちゃんだとだいぶイメージ違いますが、名馬のお話が残っている土地って多いのですね。この手のお散歩ではよく出てくる気がします。
坂の途中にある飯倉熊野神社です。
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社紋が八咫烏のため日本サッカー協会のサッカー御守が売られているのだとか。
サッカー少年たちよ、一度お参ってみたらいいプレーができるかもよ!!
さて、しばらく進むと、楽しみにしていたクランクの道です♪
( '-' )ハッ!!
私、クランクを見るのが楽しみだとか言った、今…!!
なんかお散歩楽しめてる感(*ˊᗜˋ*)w𐤔
本持さんとお話しする中で幾度となく聞いた一国のクランク(普段、地図見ながら、こんな話ばっかりしてるww)
(本持さんのおはなしはこちら。古道散歩の本の持ち主さんです。)
今の一国からは想像できない曲がり角がここにあったそうです。
余談ですが、頂上の飯倉の交差点いつも(自転車で走っていると)坂の上でお巡りさんやバリケードに、やっとの登り切ったのに~おっとっと~~ってなるのですがロシア大使館があるそうで、厳重警備になっているのですね。
そそ、今は、クランクのお話でした。
黄色い線が今の一国ですね。カーブの外側、別の道でクランクになっているのわかりますでしょうか。
昔の地図だと、こんな感じでカックンと曲がっていますね。
カックン!!
一国がカーブじゃなくてカックンだったところ!
すごいでしょ!!! (?)
写真の奥に一国が横切ってます。
クランクのトコロには、坂の名前がついた階段があります。
雁木坂(がんぎざか)だそう。
さて、暑いですがルンルンと旧東海道を登っていきます。
西久保八幡神社です。
えーっと、八幡…じん…じゃ…
( '-' )?
じん…じゃ?? 神社建て替え中でした。あらら。
こんなパターンもあるのですね。
また行かなきゃね。
そして、もう少し歩いて行ったところにあるのが、問題のこの神社。
本にも写真が載っていて、この小さい階段がついている神社。
ふきしろ稲荷神社
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拾い画像ですが、こんな雰囲気らしい。
この高低差がオツなのだとか。
でも、本日ご一緒していただいてる本持さんも、前回探したけれど、この神社は見つからなかったと…
んん?? 神社が見つからないとか(お散歩素人の私はよくあるけど)本持さんほどの方があるのだろうか…?
と思いながら歩いていると、ひらけた空間が突如として現れます。
えぇぇ。。。なんかめっちゃきれいなビルが…建ってる?工事中??
あのあやしげな神社の雰囲気なんて影も形もないのですが…場所はここ。
(ん~なくなっちゃったのかな??)
って、歩いていると、おぉぉ!! 看板の中に名前発見!
ぇ?ぇ?? 左奥??
どこ???
半信半疑で地図の通りに行くとありました!
(イメージとずいぶん違う…)
風情ある高低差の雰囲気はかけらもないですが、小高い所に移設されていました。
めっちゃきれいになってるー!!
高低差はエレベーター完備! すごいww
これは…!と思って、本の著者である荻窪さんに即行メッセージ(๑•ㅂ•)و✧
西久保八幡神社は工事中だったり、ふきしろ稲荷神社は新築だったり…。
なんて日だ(*ˊᗜˋ*)w𐤔!
ってわけで、通りすがりの癒しのチョコレート♡
撮影しないで食べちゃった♪ めっちゃ美味しかった。また買いに行かなきゃ♡
ルートからは外れるのですが、近いからってことで、愛宕山へ。
出世の階段でも有名な地ですね。ここをお馬ちゃんで登ったのだとか。ほんと?
坂の勾配って写真にとると分かりにくくなるのですが、ほんと急ですよココ?
どうやったら勾配がうまく写るかなー?? ってあーでもないこーでもないって撮影していたのですが、ん~わかる?
若い女の子がコケるくらい急だったんです!
(キャッキャしてました…遠い目)
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愛宕山からの景色。標高26m.
出世の石段
徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている
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家光さん、そんなわがまま言っちゃったのね。
そういえば、愛宕山のパノラマの撮影者なのが、フェリックス・ベアト氏らしいのですが、この方、後日(古道散歩とは関係なく、自転車のレースを見に行った)宮ケ瀬湖の資料館にも、ベアト氏撮影の写真パネルが飾られていて、あー!っとリンクしました。
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フェリックス・ベアト(Felix Beato 1832~1909)イタリア生まれのイギリスの写真家、1863年から1884年まで日本に滞在して日本各地の名所、風俗、人物を撮影した。愛宕山からみた江戸のパノラマ写真は慶応元年(1865)~慶応二年(1866)の撮影と伝わる。
20年以上日本にいたのか~!
お腹減ったので愛宕山のお店で腹ごしらえ~(おうどんおいしかった♡)
NHKの放送博物館が愛宕山の頂上にあるとのことで、寄ってみる?タダだし(笑)
館内では、8Kの映像や、愛宕山にNHK(JOAK)ができたときのお話や放送の歴史などが展示されていました。
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1925年3月22日朝9時30分、東京芝浦の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声が流れました。
アナウンサーは、JOAKを「ジェーイ、オーウ、エーイ、ケーイ」と遠くに呼びかけるように読み上げました。7月、愛宕山で本放送が始まり、愛宕山は“放送のふるさと”と呼ばれるようになりました。
月曜休館が多いみたいです~行く方チェックしてみてくださいね。
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そして、予期せぬところで幼馴染と再会。
ちょっとちょっと!!
もう超久しぶりすぎる!! 感激ー!!
今日イチ、テンションをあげながらNHK放送博物館で遊んでから、皇居方面へ。
そういえば、東海道を歩いているんでした!ってことで東海道に戻ります。
その前に寄り道、天徳寺。
愛宕山と一国の間くらいにあります。
中をひとしきり回ってから、外の看板を読みます。
有形文化財… ぇ、板碑?いたび?? どこにあった…?
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探せなかったので、この方のブログより。(ありがとう!!)
これは難易度高いですね。
天徳寺をでて、先程のチョコレート屋さんを曲がり、てくてく皇居方面へ歩いていきます。
虎ノ門のビルとビルの間に、これはまた立派な神社!
金刀比羅宮ですね。何年も前ですが、この神社の前にある虎の門病院に祖母が入院していたことがあり、お見舞いに行った際にチラッと見た記憶があります。
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当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
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昔は月一しか参拝できなかったのですね~。
その名残で、今でも毎月10日に境内に露店がでてにぎわうそうですよ。
虎ノ門に10日に行くことがあればチェックですね!
霞が関跡です。
霞が関って、関所なイメージは全然なかったのですが、関っていうくらいだから関所なのですよね(?)
「カスミガセキ」というひとくくりの大きな地域で、政治の中心というイメージでした。
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現在の千代田区霞が関にあたるかどうかについては異論もあり、具体的には新宿区霞岳町、狭山市下広瀬、多摩市関戸などが候補。
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江戸時代には大名屋敷が建ち並ぶ地域であった。江戸城本丸に近いにもかかわらず、上杉家や浅野家などの外様大名の屋敷もある点が丸の内との違いである。明治時代になり、福岡藩屋敷に外務省が置かれたことをきっかけに、井上馨外務大臣を中心として「官庁集中計画」が持ち上がりドイツから建築家を招いて大規模な都市計画が立てられた。しかし大審院と司法省が完成した時点で予算不足のため計画は大幅に縮小された。その後、大手町から内務省と大蔵省が移転するなど、少しずつ中央官庁街の体裁が整っていった。
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あら? 関所じゃないかも説も出てきました(笑)
霞かせき 広重
(出典:国立国会図書館所蔵)
昔、霞が関からは海が見えたらしい♪
旧法務省です。
自転車で前を通るたびに(とてもきれいな建物だな~)と思っていたのですが、法務省でした。
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旧司法省庁舎として1895年に竣工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築である。基本設計は建築顧問官を務めていたお雇い外国人のドイツ人建築家ヘルマン・エンデ(Hermann Gustav Louis Ende)とヴィルヘルム・ベックマン(Wilhelm Böckmann)で、実施設計と工事監理は河合浩蔵が行った。官庁集中計画は頓挫したが、旧大審院(最高裁判所)庁舎とともに明治の近代公共建築を象徴する建物となった。
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関東大震災では残ったのに、空襲で壊れちゃったのですって。
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この敷地は江戸時代に米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)として使われており、その記念碑も建立されている
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上杉家の記念碑は、お堀に近い角の所に立っているそう。
今度見てみるかな?
というわけで、皇居着~!
毎朝見ている光景ですが(ジテツウのゴールが日比谷なのです)何度見てもいいですね。徒歩できてもまた◎
皇居周辺を散策して、この日はお散歩終わりです。
丸の内仲通りでは、三密を避けるプロジェクト、丸の内STREET PARKが開催されていて(2020.07.27~09.06)木陰の中でコーヒーをのんでまったり♪
今回のルートです。
さて、次回は、丸の内から浅草方面へ向かいます~!
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