東京:新宿御苑(外周)
2020年5月17日(日)晴れ
雨の日に、言の葉の庭を見たんです。
新海誠監督の映画で、2013年5月31日公開されました。
キャッチコピーは『”愛”よりも昔、”孤悲”のものがたり』。
3回目くらいなんですけどね。
新緑のこの時期に雨が降ると、衝動的にみたくなります。
この日は快晴。でも長距離をお散歩する時間はなかったので「そうだ新宿御苑に行こう。」と、新宿御苑散歩へ行くことにしました。
映画のメイン舞台は新宿御苑のなかの休憩所で繰り広げられるのですが、今、新宿御苑はお休みですし、映画の中に時折出てくる繁華街方面には行く気ないので、いける範囲での
!!! 言の葉の庭 聖地訪問 !!!
よしっ(๑•ㅂ•)و✧
行ってみましょう~!!!
(と、出たのもつかの間、お地蔵さん、どーーーーん!!!)
御苑よりは少し北側からスタートしたので、ちょっと寄り道。
太宗寺です。
ココには江戸六地蔵のうちの一つがあります。
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江戸の出入口6箇所に丈六の地蔵菩薩坐像を造立した。病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したもの。(Wikipedia)
番 | 巡拝 | 寺号 | 宗派 | 造立年 | 像高 | 現状 | 街道 | 所在地 | 画像 |
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第1番 | 第1番 | 品川寺 | 真言宗醍醐派 | 1708年(宝永5年) | 2.75m | 現存 | 旧東海道 | 東京都品川区南品川三丁目5-17 | |
第2番 | 第4番 | 東禅寺 | 曹洞宗 | 1710年(宝永7年) | 2.71m | 現存 | 奥州街道 | 東京都台東区東浅草二丁目12-13 | |
第3番 | 第2番 | 太宗寺 | 浄土宗 | 1712年(正徳2年) | 2.67m | 現存 | 甲州街道 | 東京都新宿区新宿二丁目9-2 | |
第4番 | 第3番 | 真性寺 | 真言宗豊山派 | 1714年(正徳4年) | 2.68m | 現存 | 旧中山道 | 東京都豊島区巣鴨三丁目21-21 | |
第5番 | 第5番 | 霊巌寺 | 浄土宗 | 1717年(享保2年) | 2.73m | 現存 | 水戸街道 | 東京都江東区白河一丁目3-32 | |
第6番 | 第6番 | 永代寺 | 高野山真言宗 | 1720年(享保5年) | 不明 | 現存せず | 千葉街道 | 現:東京都江東区富岡一丁目15-1 |
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(げ…げんぞんせず?? 6番目はもうないのか。)
どこが一番大きいのかなと思ったら、みんな2m70cm前後なのですね。大きさもそろえたのかな、当時。
御苑の真ん前にこんな立派なものがあるなんて、驚きです。
(不治の病が治ったのか…! 良かったね~。京都六地蔵が出てきたけど、スルーしておこう。)
内藤新宿太宗寺
(ぇ?ミニ博物館?? そんなのあったかな…閉まってたのかな? また何かの時に。)
塩かけ地蔵があります。
「あります。」とか、書いてますけど、現地では、あまりのお姿にドン引きでしたよ(笑)
比較的、神社仏閣は(さっぱりわからないけど、雰囲気が)好きなので、あれば立ち寄りますが、こんな塩まみれのお地蔵さんを見るのは初めてです。
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塩をいただいて帰ると願いがかなうパワースポットとして有名です。
なお、願いがかなった場合は倍の量の塩をお返しする約束となっています。
「塩地蔵」をみてみると、ほとんど全身塩に埋まっており、大変ご利益があることがうかがえます。
閻魔様や奪衣婆、塩かけ地蔵が有名!新宿・太宗寺(たいそうじ) | むさしの散歩日記。
(抜粋)
〜〜〜
塩かけ地蔵は「東京御利益案内」によるとおできにご利益があると記載されています。塩をもらって帰り患部に塩を塗り込むとおできが治るそう
(抜粋)
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さらっと調べると、こんなお話が出てきました。なるほど、お地蔵さんについているお塩を少し持ち帰り、患部に塗って治った場合は、倍量のお塩をお礼としてお供えする…のが慣習なのですかね。
せっかく立ち寄ったので、内藤正勝のお墓にも手を合わせてきました。
(だれ〜?? Googleせんせ~)
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慶長13年(1608年)、三河譜代であり関東総奉行を務めた内藤清成の三男として誕生する。清成の死後、内藤家の家督は長男清次が、清次の死後は次男清政が継ぐ。清政の代に安房国勝山に移封され、3万石の大名となっていた。
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(あ、清成さんのお子さんなのね…!(つながった)。清成さん後程出てきます~。)
さて、新宿御苑到着(旧新宿門)です。
今日は言の葉の庭聖地巡りなはずなのですが、歴史的建造物たちに、すっかりペースを乱されていますww
そもそも新宿御苑って「きれいな公園」くらいのイメージしかないのですが、なんでしたっけ…? とおもったら、環境省のHPに載っていました。
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新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。
昭和22年12月、新宿御苑は皇居外苑、京都御苑とともに国民公園として運営される旨が閣議により決定し、昭和24年5月21日に「国民公園新宿御苑」として一般に開放され、昭和25年に厚生省の所管となりました。
その後、昭和46年7月の環境庁の発足にともない、全国の国立公園などとともに所管を環境庁に移しました。そして平成13年1月の省庁再編により環境省に所管を移し、平成18年に「新宿御苑」という名に冠してから100周年を迎え、現在に至っています。
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(内藤さんちから国立公園になるまで…すごいな!)
環境省から四季別のマップが出ていました。
「春・初夏・夏・秋・晩秋・冬」
今回は初夏のマップをひっぱってみました。
ちなみに、中に入るのは有料です。
2019年3月19日より入園料が変更となり、大人は200円から500円に値上げとなりました。学生(高校生以上)の料金が新設され250円。小中学生は50円だったのが無料となったようです(中学生以下が無料という意)。
年間パスポート(1年間)は、一般2000円、高校生1000円。
(ふむ。ちょいちょい行くのだったら年パスのほうがお得かも。)
旧新宿門のおうち。かわいい♡
そこからは御苑の外側を反時計回りに歩いていきます。
新宿御苑、新宿門です。
まぁお休みなんですけどね。入れるようになったら内側も聖地巡りしてみますかね(?)
基本的に混んでるところ嫌いなのでどうですかね??ww
あーあの奥に見える券売機も聖地扱いされてますっ!
(今の券売機やゲートはこのタイプではないらしい)
さて、都立新宿高校(これは聖地なのかな? タカオとユキノの学校の可能性は高いといわれていますが)の横を通り、雷電稲荷神社を横目に、明治通り沿いを歩いていると、再びドーンとしたお寺が現れます。
天龍寺です。
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天龍寺の前身は遠江国にあった法泉寺とされる。法泉寺は徳川家康の側室である西郷局(於愛の方)の父、戸塚忠春(戸田忠春とも伝わる)の菩提寺であった。
渋谷川(穏田川)の源流のひとつであり、かつては境内に池があった(2011年現在も地下水が豊富である)
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渋谷川…! この後また出てきます。
明治通りから一本入り、新宿御苑沿いを歩いていくと、新井白石終焉の地が出てきます。
(誰…?)
まぁ、麦畑の中に住むのはステキですね。私、お庭があるおうちに住んだら、玄関先に麦を植えたいんです♪
(これはそんな悠長な話ではないと思うが…( '-' )!)
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新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら6代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の7代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折して8代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。
学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。(Wikipedia)
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(ほぅ~…。朱子学ってなんやねん…と思って知らべたら、
[朱子学とは、南宋の朱熹によって再構築された儒教の新しい学問体系。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤と合わせて程朱学・程朱学派と呼ばれ、宋明理学に属す。]
って出てきて、余計わからなくなったので、パス。今日は、言の葉の庭の聖地巡りなんだよww)
はい、新宿御苑の千駄ヶ谷門です。ユキノが出入りしている門ですね。
お向かいのバイオリン屋さんがとってもとっても気になりますが、入り口だけ覗いて、たくさんの楽器があるのを、ほわ♡とみて、次に行きます。
わたし、昔バイオリンちょっとだけ弾けたのです。今も復活させたい趣味のひとつに入っているので、まぁそのうちに。
ここのトンネルも聖地のひとつです。
中央線、総武線、首都高4号線をくぐります。
https://twitter.com/knsk_seaweed/status/764006972798611460?s=20
千駄ヶ谷駅、めっちゃきれいになってて、ビックリしました!
供用開始日は、2019年10月27日(日)だったみたいですね。
あぁ、もうひとつ聖地!
タカオのバイト先の中華屋さんです。
「不動産」看板の手前のお店になります。
せっかくなので、鳩森八幡神社も立ち寄ります。
なんか登れそうなところがあると登りたくなってしまうのは、性なのでしょうか。
りっぱな富士塚に登ります。
山頂からの眺め。いいね(⁎˃ᴗ˂⁎)
(7合目に洞窟…? ほう、見なかったな?)
富士塚の入り口はこちら側でした~。裏から登っちゃった。
さて、寄り道も終えたので、言の葉の庭の聖地訪問に戻ります(?)もう聖地出てこないけどもww
(何がメインかわからなくなってきたけど、基本、ただの散歩だし、良いよね??←何の同意(*ˊᗜˋ*)w𐤔)
新宿御苑、洋風庭園側の門。お花がたくさん咲いているのが見えます。バラかな~??
大京町交番前交差点のあたりです。
はぅぁ、また怪しげな石がありますね。「こういうの=あやしい」というのをここ最近学びました。
(トンネル!! あやしい…。)
これ、渋谷川の跡らしいのですよね。
昔の地図で言うと、この橋ですね。
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渋谷川。
明治前半までは、水がきれいで、沿岸では蛍が見られた。かつて徳川将軍に献上された蛍は渋谷川で採取されたという。アユの生息も確認され、水辺にヨシ・ガマの草原が広がり、川沿いには河畔林が形成された。
ja.wikipedia.org
www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp
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むかしはとってもキレイな川だったのですね。
(ホタル、アユ、ヨシ、ガマ、ね。)
そういえば私、イイ歳までガマってものを知らなくて、長女が小学生の時に国語の教科書に「ガマ」が出てきて、子供と一緒になって「ガマって何…?」と言ったのを思い出しました。
こんな看板もありました。
(諸説あり、らしいですね。また今度。)
多武峯(とおのみね)内藤神社です。
(でた、内藤さん…!)
ここには駿馬塚というのが残っています。
読んでみると、結構めっちゃくちゃですが、
内藤清成は、さっきお墓参りした内藤正勝のお父さんですね。(ですよね?)
四谷→千駄ヶ谷→代々木→大久保って…え??
え??ww
まぁいいか。深く考えないようにしておこう。
これあとで古地図を調べたら、今の東新宿あたりをかつては大久保と呼んだらしいですね。
東新宿駅周辺に大久保という地名があります。
このへんなら、まぁ納得??
(お馬ちゃん、がんばりました。拍手!)
そして、隣の滑り台しかない小さな公園に突如として現れる鉛筆の碑。
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1887年 (明治20年)眞崎仁六、「眞崎鉛筆製造所」を東京市四谷区内藤新宿1番地にて創業。
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ほんとだ…ここは三菱鉛筆創業の地なのですね。
(ほぇぇ…なんだか話題が盛沢山すぎです。ご近所に咲くバラがとってもキレイ。
…小休止。)
歩みを進めると、甲州街道と外苑西通りとの交差点に、こんなものもありました。
(ほぅ、広重さんも褒めらえると照れちゃったのね。かわいい。なんでもそうだけど、褒められるとモチベーションになりますよね♪)
四谷区民ホール脇です。
ココには四谷大木戸跡があり、玉川上水のゴール地点でもあるようです。
(あー昔社会で習った気もする…?)
・・・なんとなく、囲われた柵の向こうに、ハンドルのようなものも見えます。
(玉川上水は掘り下げると、ものすっごく深そうなので、今日は触れないww)
新宿御苑に戻ってきました。大木戸門です。
行きは、旧新宿門から入ったので、この看板もチラチラ見ていましたが、一周回って帰ってくると、渋谷川や玉川上水のことが載っています。
(なんとなくリンクしたぞ…!)
新宿御苑の旧新宿門まで戻ってきて、とりあえず新宿御苑の外周を一周したことになりました♪
散歩道にある看板たち。
今回のルートです。
言の葉の庭の聖地も何箇所か見れましたし、新宿にたくさんの立派な歴史的建造物があって驚きました(*´Д`*)
新宿といえば、ハンズ、ビックロ、y's、紀伊国屋、映画館、東郷青児美術館(あ!新しくなってる!上から新宿を見下ろすの好きだった。)に用事があるときくらいしか来たことなかったのでww
(オープンしたら行かなきゃ♪)
とりあえず、今回ちらっと出てきて気になったのは玉川上水です。また何かのときにたどってみたいなと思いました。
次はどこにいこうかな〜(⁎˃ᴗ˂⁎)??